大学の頃、半年間日本に留学してきましたが、それ以来はアメリカ在住で、日本に行くのは、一年おきに家内の実家を訪れるというパターンになっています。ですから、日本語について何か聞きたいことができると、聞き手の候補者は家内だけです。これは、家内にとって、とんでもない災難なのです。例えば、
(家内は夕飯のおかずをジャージャー炒めている最中)
「あのね、ちょっと聞いていいかな。」
(家内は興味深そうに炒め物を見つめる)「・・・・・・」
「本を読んでいて、気づいたんだけれど、「直ちに」と「即座に」の違いがよく分からないみたい。その二つはどう整理すればいいのかな・・・」
「・・・・・・・」
或いは、
(家内はテレビを見ている。私はその傍で読書。)
「ね、この漢字はなんって読むんだっけ?」
「ん?」(まだテレビを観ている)
「この漢字、読みは?」
「あ、漢字か、それは「くじら」と読むよ。」
「なんだ、くじらかぁ。そういえば、Moby Dickの日本語版だから、文脈から分かるべきだったな、そりゃ。」
「・・・・・・」
(5分後)「ね、この漢字は何と読む?」
「ん?」(家内の視線がテレビから離れない)
「漢字だよ!か・ん・じ!」
(家内の目はちらっと私の差し出すページに移る。「あ、それは又「くじら」だよ。」
「・・・・・・」
我が家では、こういう芝居が何度も繰り返されているので、家内の「知りたがる夫恐怖症」はどんなものなのか、容易に想像がつくでしょう。そうして私も家内に影響されて、「日本人は質問されたくない」というイメージを無意識に覚えてしまったのです。
それで、久しぶりに日本に行くと、必ず「うゎ~、日本人がいっぱいいるっ!さすが日本だな!どんな質問でも、答えてもらえそう・・・もしかして、絶叫すれば、僕の声が届く範囲以内に国語の先生さえいるかもしれん」というような単純なことを考えてしまうのですが、いざという時に、やはり聞きにくくて遠慮してしまいます。
したがって、この方の経験について読ませていただき、「そっか、迷惑にならない場合もあるんだ」とありがたく思いました。もし家内が彼の傍に座っていたら、話が別だったかもしれません。(というより、キュートな彼だったなら、喜んで質問に答えていたのでしょう。)とにかく、こういう日本語救急依頼の難点は、質問されてもいい方も、質問されたくない方も同じように見えてしまうということが明らかになりました。
この問題を改善するのは簡単なことでしょう。我々外国人でもわかるような合図で、質問を受けてくれる日本人の方々を示せば良いのであろう。方法はいくらでもあるのだが、各電車に、一台の客車を「質問ゾーン」に指定するのが最適に思えます。この質問ゾーンは無論、我々外国人も認めなくてはならないのだから、質問車に乗る日本人は、「質問されるかも」と覚悟できるでけではなく、逆に色々な外国語について質問する機会を得る訳です。(これで別の問題が生じるのですが、質問車に乗っている間、外国人が自分達の母国の国歌を静かに歌え続ければ分かりやすくなると思います。)
質問車の外側に、巨大なクェスチョンマークを沢山貼り付ければ、乗客の皆様が間違わないし、何だか楽しい雰囲気が醸し出されるのでしょう。わくわくしません?今日、質問車に乗ってみよう―か―なっ!と通勤時間がオモシロクなってくるのでしょう。
この提案を国土交通省に提出したいのですが、手順がよくわかりません。それでね、読者様、ちょっとお聞きしたいのですが・・・
2 件のコメント:
こんにちは。
日本人には、外国人に話しかけられる事が苦手と言う人が、結構いるように思います。
"外国人が嫌い"とか"怖い"とかではなくて、"英語が話せないから"とか"聞かれてもちゃんと答えてあげられないから"という理由ではないかと思うのですが……。
私の場合は、たまたま日本語の先生になる勉強をしていたから、漢字の読み以外の質問にも答えられたけど、"日本語を教える"ことを勉強した事がない人は、分かっていても説明できないんじゃないかな?
で、説明できなくてものすごく申し訳ない気分になってしまったり。
分からなくてごめんなさい~!って。
私は何故か、外国人に道を尋ねられたりする事が多いのですが、英語が苦手でちゃんと受け答えできず『ああ~、ごめんなさいぃぃ~!』状態になります。
外国人が道を尋ねたりする時って、一体何を基準に声をかける人を決めるんだろう~?と思ってしまいます。
それにしても、とぼとぼさん、日本語上手!ブログを見ていると、とても外国の方が書いているとは思えないです……。
Hannaさん、コメントとご訪問ありがとうございます。
なるほどですね。僕も少々ESLをやったことがあるので、自分の母国語を説明する時の慌しい気持ちがよく分かりますよ。言語を使うことと言語を説明することは、全く別のことですよね。
英語で話しかけてくる外国人たちは、日本語できなくてごめんなさ~い!と同じような申し訳なさを覚えているのでしょう。なにしろ、日本に行くと、日本語を使うべきだと僕は思いますが、日本に行く観光者はできない方が殆どでしょうね。
といっても、僕は日本に行くとよく道に迷って、日本語でながら、道順を尋ねることがしばしばあります。基準は人によって多少かわると思いますが、大体こんなことでしょうか。
1.起こらなさそうな人
2.言葉の通じそうな人(頭が良さそうで世代が近い人)
3.忙しくなさそうな人
4.地域を知っていそうな人(デパートの袋を沢山さげていない等)
Hannaさんはこんな雰囲気の方ではないでしょうか?ということですね。
僕の日本語はまだまだ先が長いのです。アメリカに住んでいると、文章を書くきっかけが全くないので、この練習帳のようなブログを始めました。なぜか、どなたかに読んでいただけるととても嬉しいです。やはり、コミュニケーションでないと、言語を勉強する価値が感じられないのでしょう。
いつでもいらっしゃってください。お気軽にご感想を残したり、僕の日本語のミスを叱ったりしてくださいね。
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