2007年5月15日火曜日

読書=LIFE

数年前から日本語の本を読んでいます。読み始めたきっかけも面白い話なのですが、今のところでは省かせて頂きましょう。とにかく、最初は家内の本棚に転がっていた本を手にして、分かりやすそうなのを読んでいました。一冊の本を最後まで読むことはめったになかったのですが、一目で分かる漢字や表現が段々増えてきたら、本を読みきることも多くなり、本を選ぶ際に読みやすさよりは内容の方を重視し始めました。それで、時々本をネットオークションで買ったり、友達に日本から送ってもらったりしていました。

そして、信じられないような幸運に、結構近いところに日本語の本を貸し出す図書室があります。殆どは文庫本で、時々読んでみたい作家の本が揃えていませんが、この図書室に通うようになってから、私の読書視野が随分広くなってきました。日本の文学界を知るのは、私にとって一生の仕事だと思うし、今この文章を書いている間、何百人かの日本人が小説の原稿をこつこつ書いていることを考えると、どのペースで読んでも、進歩するより、ますます遅れてしまいそうな気もします。

でも、どんなに読み遅れても、私のできることはページを一枚ずつ読むことしかありませんね。大雑把にいえば、本を読むときは二つの読書モードがあるのです。一つは、分からない漢字、単語、表現を全て調べながら読む、というかなり几帳面な読書法です。これは確かに効きますが、同じページに三十分をかけることもあるので、世界中の日本語小説原稿積もり具合をなるべく考えないことが大切なのです。

しかし、本と辞書を交代に見ることに飽きると、二つ目の読書モードに移ればいいのです。つまり、本だけに集中し、分からない言葉が出てきても読み飛ばしてしまうのです。これは、もっと楽な読書法ですね。まるで渋滞から抜け、高速道路で車をビューンと飛ばすような開放感なのです。(話題も飛んでしまうけれど、車社会のアメリカでは、スピード違反を常にしている人が多く、罰も割合軽いのです。)とにかく、そういう「ビューン読書」だと、全部分からなくても、本を楽しむことが案外できるし、読むスピードが上がるに連れ、総合的な理解もよくなると思います。しかし、分からない言葉が多すぎると、全然理解できなくなることもあるので、辞書を物置にしまわないほうがよさそうです。

この二つの読書モードを利用しながら、色々な作家が創造した世界を楽しむことができるので、日本の小説は私にとって、宝物とでも言えるのでしょう。これから、このブログに読書感想を時々載せたいのですが、皆様のお勧めの作家や作品も是非知りたいので、気軽にコメントを入れてくださいね。

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