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2008年5月22日木曜日

一人ポンチ

先週末から、家内は娘を連れて日本の実家へ行っています。七五三の写真撮影が第一の目的ですが、親戚と遊んだり、美味しいものを食べたりできるので、旅人の二人は大喜びではしゃいでいます。

家内が里帰りする度に、私は一緒にお邪魔することが多いけれども、今回は家に残ることになりました。もちろん、行きたいは行きたいのだが、つい去年日本に行ってきましたし、娘は片親と二人で旅行できる歳になっているので、一人分の旅費を節約しようと決めました。

それで、二週間の間、私は一人ポンチになるわけです。いや、分かっていますよ。「一人ポンチ」は正確な日本語ではありませんね。普段「一人ぼっち」あるいは、「一人ぽっち」と言いますが、家内の実家では「一人ポンチ」というバリエーションが発明され、一時的にみんなの間で流行っていました。

「あら、君がいたか。何してんの?」
「読書だよ。一人ポンチだもん」

という調子で使う表現です。ポンチは英語のpunchという意味で使っているので、ボクサーのように空中を素早くパンチする仕草を付け加えるのがポイントです。

家内の実家で一人ポンチブームがとっくに終わりましたが、未だに私が自然に口にするのは一人ぽっちではなく、一人ポンチなのです。人前でうっかり使って大恥をかいたこともあります。

ともかく、一人ポンチの二週間、どうしようかな、と悩んでいるところです。

中年男が独身状態に戻ると、どんなことをするのでしょう。いろいろなイメージがつきますよね。一つは、野蛮化です。掃除をせず、ヒゲさえ剃らず、原始人らしくパンツ一丁で家の中を歩き回り、牛乳をコップに入ないでカートンから直接ゴクゴク飲む、という暮らしぶりです。

この野蛮スタイルの魅力を感じないでもないのですが、玄関のドアには大きな窓があるので、パンツ姿で歩き回るのは止めた方がよさそうです。それに牛乳をめったに飲みません。紅茶なら毎日飲みますが、ティーポットから直接という飲み方は、危険だけではなく、雰囲気をすっかり壊してしまうのでしょう。野蛮化するのに紅茶を捨てなきゃいけないのなら、ごめんです。

しかし、正反対のイメージはどうなのでしょう。文明を捨てないで、むしろ遊びまくることです。毎晩飲みに行き、夜明けごろに足を引きずって帰宅。ふむ、これも合わないよな、としか思えません。残念ながら、私は派手な遊びの似合わない人間なのです。例えば、高級バーにラマを連れて行ったら、どうですか。ラマは立派な動物であり、高級バーも価値のある場所ですが、その二つを組み合わせるとどうも違和感を感じるでしょう。私はラマではないけれど、高級バーに入るとラマ・レベルの違和感を覚えてしまいます。

しかたなく、仕事と原稿作成に集中しようか、という苦い結論にたどり着きました。そういえば、物置の整理も待っています。

やはり、この二週間を利用して、仕事と掃除をしましょう。無論、一人ポンチという仕草を時々しながら。

______________________________________________
直した原稿


先週末から、家内は娘を連れて日本の実家へ行っています。七五三の写真撮影が第一の目的ですが、親戚と遊んだり、美味しいものを食べたりできるので、旅人の二人は大喜びではしゃいでいます。

家内が里帰りする度に、私も一緒に付いて行くことが多いのですが、今回は家に残ることになりました。もちろん、行きたいは行きたいですが、去年も日本に行ってきましたし、娘は親と二人で旅行できる歳になっているので、一人分の旅費を節約しようと決めました。

それで、二週間の間、私は一人ポンチになるわけです。いや、分かっていますよ。「一人ポンチ」は正確な日本語ではありませんね。普通「一人ぼっち」あるいは、「一人ぽっち」と言いますが、家内の実家では「一人ポンチ」というバリエーションが発明され、一時的にみんなの間で流行っていました。

「あら、君がいたか。何してんの?」
「読書だよ。一人ポンチだもん」

という調子で使う表現ですが、空中を素早くポンチする仕草を付け加えるのがポイントです。

家内の実家では一人ポンチブームがとっくに終わりましたが、未だに私が自然に口にするのは一人ぽっちではなく、一人ポンチなのです。人前でうっかり使って大恥をかいたこともあります。

ともかく、一人ポンチの二週間、どうしようかな、と悩んでいるところです。

中年男が独身状態に戻ると、どんなことをするのでしょう。いろいろなイメージが浮かびますよね。一つは、野蛮化です。掃除をせず、ヒゲさえ剃らず、原始人らしくパンツ一丁で家の中を歩き回り、牛乳をコップに入ないでカートンから直接ゴクゴク飲む、という暮らしぶりです。

この野蛮スタイルの魅力を感じないでもないのですが、玄関のドアには大きな窓があるので、パンツ姿で歩き回るのは止めた方がよさそうです。それに牛乳をめったに飲みません。紅茶なら毎日飲みますが、ティーポットから直接という飲み方は、危険なだけではなく、雰囲気をすっかり壊してしまうでしょう。野蛮化するのに紅茶を捨てなきゃいけないのなら、ごめんです。

しかし、正反対のイメージではどうでしょう。文明を捨てないで、むしろ遊びまくることです。毎晩飲みに行き、夜明けごろに足を引きずって帰宅。ふむ、これも合わないよな、としか思えません。残念ながら、私は派手な遊びの似合わない人間なのです。例えば、高級バーにラマを連れて行ったら、どうでしょう。ラマは立派な動物であり、高級バーも価値のある場所ですが、違和感を感じるでしょう。私はラマではないけれど、高級バーに入るとラマ・レベルの場違いなのです。

しかたなく、仕事と原稿作成に集中しようか、という苦しい結論にたどり着きました。そういえば、物置の整理も私を待っています。

やはり、この二週間を利用して、仕事と掃除をしましょう。無論、一人ポンチという仕草を時々しながら。

2008年3月28日金曜日

食後の会話

  三月上旬の話です。日本人補習授業校の学年の終わりが近付き、今度の土曜日に終業式が行われます。
  何故か、チビは一年生の代表として終業式で挨拶をする、と自ら進んで約束したのです。
  はっきりいって、これはあまりチビらしくありません。自分の日本語能力に軽い劣等感を持つチビは、普段は人前で話すのが苦手ですけれど、この約束をした前に、二週間後の終業式は遠い将来のように感じたかもしれません。
  ともあれ、今は家族三人で食後の消化タイムを兼ねた挨拶練習をしています。挨拶原稿を朗読するチビは、「学習発表会」という難しい言葉で何回かつまづき、少々落胆していたところです。以下の会話は英語も交じっていたけれど、肝心なところは日本語でした。
  「あん、これはできないよ~」とチビが涙ぐむ。
  「大丈夫だよ。もう少し練習すればできるようになるよ」とママが励まそうとする。
  ところが、チビが反論するだけ。「そんなことないよ。これをやる、と言わない方がよかった。ね、もしこの挨拶をしなかったら、どうなるの?」チビは約束を破ることを考えているらしい。
  驚いたパパが「恥をかく!」と口を挟み、説得にかかる。「でもな、もう約束しただろう。今さえ辞めっちゃいけないよ。しかもママのいう通りだよ。パパも日本語を勉強していた頃、発音しにくい言葉が沢山あったけどね、練習を重ねたら、少しずつできるようになったし、君の場合も同じだよ」
  「そうなの?よかったね、パパ。でも、やっぱりハジをかくことにする。鉛筆持ってくるね」
  「え?鉛筆を?どういうこと?」
  「だって、辞めたければ、ハジという書類を書かなくちゃいけないって言ったじゃない?」
  「ハジを・・・あ、恥をかく、のことだね。それはな、恥ずかしくなる、という意味だよ。」
  「そうか。やらなくちゃいけないのか・・・」
  「そうだよ。恥っていうのは、恥ずかしく感じることって意味で、かくは、作文を書く、というカクなんじゃなくて・・・なんだろう。よく分かんないけど、汗をかく、という表現もあって、それと一緒かな。ね、ママ、恥は、汗のように毛穴から染み出るって日本人が考えているの?」
  「そ、そんな・・・ 恥って・・・。とにかく、チビは、~しない方がよかった、という文法が使えるようになったわね。上達したよ!」
  チビは「そうかな・・・」と頭をかき、パパはその動詞の奥深さを無言のままで考え続ける。
  ちなみに、パパのアヤシイ日本語解説に悪影響を受けずに、チビは練習を続け、終業式で学級代表の挨拶を大きな声ですることが出来ました。

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直した原稿

  三月上旬の話です。日本人補習授業校の学年の終わりが近付き、今度の土曜日に終業式が行われる、というある日の出来事です。
  何故か、チビは一年生の代表として終業式で挨拶をする、と自ら進んで約束したのです。
  はっきりいって、これはあまりチビらしくありません。自分の日本語能力にいくらか劣等感を持つチビは、普段は人前で話すのが苦手ですけれど、この約束をした時には、二週間後の終業式は遠い未来のように感じていたかもしれません。
  ともあれ、今は家族三人で食後の消化タイムを兼ねた挨拶練習をしています。挨拶原稿を朗読するチビは、「学習発表会」という難しい言葉で何回かつまづき、少々落胆しているところです。以下の会話は英語も交じっていたけれど、肝心なところは日本語でした。
  「あん、これはできないよ~」とチビが涙ぐむ。
  「大丈夫だよ。もう少し練習すればできるようになるよ」とママが励まそうとする。
  ところが、チビは反論するだけ。「そんなことないよ。これをやる、と言わない方がよかった。ね、もしこの挨拶をしなかったら、どうなるの?」チビは約束を破ることを考えているらしい。
  驚いたパパが「恥をかく!」と口を挟み、説得にかかる。「でもな、もう約束しただろう。今さら辞めちゃいけないよ。しかもママのいう通りだよ。パパも日本語を勉強していた頃、発音しにくい言葉が沢山あったけどね、練習を重ねたら、少しずつできるようになったし、君の場合も同じだよ」
  「そうなの?よかったね、パパ。でも、やっぱりハジをかくことにする。鉛筆持ってくるね」
  「え?鉛筆を?どういうこと?」
  「だって、辞めたければ、ハジという書類を書かなくちゃいけないって言ったじゃない?」
  「ハジを・・・あ、恥をかく、のことだね。それはな、恥ずかしくなる、という意味だよ。」
  「そうか。やらなくちゃいけないのか・・・」
  「そうだよ。恥っていうのは、恥ずかしく感じることって意味で、かくは、作文を書く、というカクなんじゃなくて・・・なんだろう。よく分かんないけど、汗をかく、という表現もあって、それと一緒かな。ね、ママ、恥は、汗のように毛穴から染み出るって日本人が考えているの?」
  「そ、そんな・・・ 恥って・・・。とにかく、チビは、~しない方がよかった、という文法が使えるようになったわね。上達したよ!」
  チビは「そうかな・・・」と頭をかき、パパはその動詞の奥深さを無言のままで考え続ける。
  ちなみに、パパのアヤシイ日本語解説に悪影響を受けずに、チビは練習を続け、終業式で学級代表の挨拶を大きな声ですることが出来ました。

2008年3月10日月曜日

桜に雪

我が家の庭に桜の木は三本あります。夏に引っ越してきたので、最初は気づいていなかったけれど、あ、これは桜なんじゃない?と分かった時、その三本の桜は良い兆しのように思えました。

と言っても、家の桜は運があまりよくないようです。この地域では、二月と三月は気温の上下が激しく、「桜ちゃん、そろそろ咲いてもいいよ~♪」と誘ってくる春らしい日は、あっという間に「桜のやつ、凍らしてやるぞ」と意地悪な冬将軍に逆戻りしてしまうのです。それで、去年も一昨年も、桜は霜にやられてしまい、花を殆ど咲かせませんでした。

今年もそうなりそうでしたので、雪が降ってくる前に写真を撮っておきました。日本で桜の花を見たことのない私ですから、我が家の桜を大切にしたいものです。

2008年2月25日月曜日

蟻に襲われています。

毎年、二月になると、私のオフィスに蟻が現れるようになります。この地域に紅火蟻(アカヒアリ)という実に危険な種類も最近侵入してきていますが、オフィスにやってくるのは、ごく普通の小さくて茶色い蟻です。このチビ外来者は人間を刺さないけれど、いろいろなところで這い回り、人の邪魔をしょっちゅうしています。

今年の冬は暖かい方で、蟻の襲撃は例年の何倍か、という凄まじい規模まで拡大しています。拡大しているといっても、それはいっぺんで大量で出てくるのではなく、一匹ずつ次から次へ、とどこかから現れるのです。言わば、ビルの地下に蟻の無尽蔵があるような感じです。私は虫と接触することが特に嫌だと思わないが、机上や電話やキーボードを這う蟻どもを眺めていると、「君たち、これはちょっとやりすぎじゃないか?」と思わずにいられなくなります。実際に声をかけてみたりしていますが、彼らは一切返事してくれません。

蟻の侵入でこれという不自由はないけれども、誰かと会話していて、蟻が自分の手を歩いていることに気づくと、どうすればいいのかがよく解りません。こういう場合は、「あ、また蟻ですねぇ」と微笑みながらそっと払い落としても礼儀違反なのでしょうか。それとも、どこまで這っても、蟻の存在を認めないのが正解かもしれないが、蟻は顔の辺りに近付いてくれば、この無視ポリシーを貫くのは難しそうです。

蟻に関する行儀はどうであれ、私のマグカップを立ち入り禁止ゾーンにしたいですね。

2007年10月11日木曜日

空白を埋めて

この間、久しぶりに投稿したら、びっくりする程お励ましのコメントを沢山頂きました。このブログは皆様に忘れられていないことを知り、深く感謝しております。
さて、七月から私は何をしていたのでしょうか。新しい話題を持ち出す前、この数ヶ月間のことを簡単に整理させて頂きましょう。

先ず、とぼ達の来日する予定はまだはっきりしません。よ~く話し合ったり、調べたりした挙句、住みたい場所と目指したい仕事が少しずつ分かってきました。でも、アメリカから就職するのは容易ではありません。良さそうな仕事が見つからなければ、暫くは今のままでやり続け、履歴書を磨きながら新しい求人を待つつもりです。国際引越しの準備を考えるだけでも恐ろしくなるので、キャリアー的にも、家族的にも良さそうなチャンスでないと来日しないと思います。アメリカ合衆国の誕生に活躍したベンジャミン・フランクリンの名言ですが、「引っ越し三回は火事如き」と言います。(フランクリン自身は自分のことわざに従わなかったことはともかくとして。)

結局どうなるのかは、まだ分からないのですが、自分の将来を考え直すだけでも充分価値があると思います。「私達は何を一番大切にしている?」や「成功っていったい何なんだ!?」という基本的な質問について反省するようになり、日常の機械的な繰り返しから一歩離れたようなちょっとした開放感を味わえるものです。

2007年7月19日木曜日

とぼ達、日本へ?!?

日曜日、日本に住んでみようかという話が出てきました。はっきり言って、かなりびっくりしました。今の生活は裕福でなくても、せめて安定しています。住んでいる町も、マイナスがあれば、プラスもあります。何かプラスがあれば満足しがちな私は、今まで引っ越しなんか真剣に考えていませんでした。

家内も日本に帰りたいと思っていなさそうでした。新婚の頃は、とりあえずアメリカで暮らそうという話をお互いにしていたし、それ以降時々「日本に住んだらどう思う」と尋ねても、「いや、帰国したい気持ちは特にないよ」というような返答でした。

しかし、今の話によると、家内は日本社会は外国人にとって住み辛いと思っていたらしいです。夫にそういう辛さを経験させたくない家内は、自分が外国生活を我慢しよう、と決意したというのです。

何度も「日本に帰らなくてもいいよ」と無造作に答えていた家内は密かにそんな優しいことを考えていたわけです。頭が下がってしまいます。

ところが、日本の現状は違うのではないか、と私達は考えてみました。確かに、日本に滞在している外国人の人数が増えてきています。

とにかく、二十年こちらで暮らしてくれた家内を日本で暮らさせてやりたい気持ちになりました。

それから、アメリカで日本語をここまで学んできた私も、もう少し日本に住んでみたいです。チビにも日本語を覚えるチャンスかもしれません。

そういう風に日本に引っ越そうかという話が急に出てきました。

それで考えなくてはいかないことがいっぱいあります。特に、この二つの疑問。
  • 大都会と地方都市と、どちらがいいか

  • 就職するか、自分の会社を作るか

予定をしっかり立てなくてはいけないので、引っ越しは来年の夏になるでしょう。そして、いろいろ調べてみて、マイナスが多ければ、この計画を止めるかもしれません。

しかし、今のところは日本に住むことをプラスとして考えています。

2007年7月4日水曜日

7月4日

今日はアメリカの独立の日です。


アメリカ人はよくその200年以上の自由を誇りにしますが、日本人の目から見れば、ここはまだ幼い国なのでしょう。


ともかく、家はアメリカ人並みにお祝いしています。


裏のデッキでハンバーガーをグリルしたり、スイカを食べたり、日が暮れてから花火をあげたりします。


ただ、私は牛肉が苦手なので、私だけは鮭のハンバーガーにします。


そして、花火も条件付きです。チビはウルサイのを嫌がるので、なるべく音のでない物にします。線香花火がその大半です。


こういう条件があっても、7月4日は楽しいと思います。


そう思っていないのは、家の犬だけです。Gちゃんは元気な15キロの初老雑種ですが、とても落ち着いていて、要求が少なくて、飼いやすい犬です。


しかし、何故か花火の音が怖いらしいです。近所の人々が夜遅くまで花火を上げるので、家の人間がみんな寝ても、まだうるさいのが続いています。


Gちゃんは家の中にベッドがあり、一日の殆どを室内で過ごしていますが、二階に上がることは禁止されています。寝室は全部二階です。ゲートも何もないけれど、Gちゃんはルールをよく知っているので、決して上がってきません。


しかし、一年のこの日だけは違います。みんなが寝ると、一人ポッチになっているGちゃんは堪らなくなり、「申し訳ないけど、今日だけは許してぇ~」という表情で階段を登ってくるのです。


なかなか叱ることができないので、暫く居させてから、一階に連れて行き、近所が静まり返るまで一緒にいてあげるしかありません。


私も牛肉がだめだし、犬にも7月4日の苦手なところがあってもしかたありませんね。

2007年7月2日月曜日

6月上旬の旅行記 (その2)

アメリカ合衆国の各州は独自のイメージがします。例えば、テキサス州は何でもデッカイ、カリフォルニア州は何でも超クール、フロリダ州はお年寄りのメッカ、云々と連想します。こういう割りと有名な州だけではなく、アイダホ州の芋の多さと人間の少なさや、ミネソタ州の住民の北欧っぽい訛りまで、全ての州には独特な雰囲気や有名な特徴があります。


正直に言いますと、サウスカロライナ州に連想することがあまりよくありません。アメリカの南北戦争の頃、サウスカロライナが最初に合衆国から脱退した州で、1962年から2000年まで南部独立を象徴する南軍旗がサウスカロライナの州議事堂に掲げられていました。アメリカ中で反対の声が強まり、2000年に南軍旗は州議事堂からその隣にある記念碑に移されました。それは何の記念碑でしょうか。奴隷制度を必死に守ろうとした南部連合の記念碑です。やれやれ。


サウスカロライナ州の事をよく知っているわけでもないのですが、このぐらい知っていると、行ってみたいという気持ちがなかなか湧いてこないものです。
しかし、行くことになりました。そのきっかけは家内のロックンロール欲望でした。家内はピーターフランプトンの大ファンですが、去年まで彼のライブに行ったことがありませんでした。フランプトンがサウスカロライナ州のグリーンビル市で演奏することを知り、地図を見てみると、へー、結構近いじゃん、と驚きました。更に調べてみると、会場もよさそうだし、チケットの値段は高くありません。大分右の方ですが、前の列の席が一つ空いているそうです。よし、行ってみようということになりました。


前回紹介したアッシュビル市から一時間余り南の方に車を走らせてグリーンビル市に到着しました。最初に通ったのは貧しそうな地区で、大丈夫かな、と思いましたが、市内に着くと、なんと川沿いの地区は再開発中で、予約したホテルはその新しい建物の一つです。隣のビルはまだ工事中ですが、ホテルの中はきれいで静かでした。一休みしてから、リーディ川の向こう岸にあるダウンタウンに出かけました。


アッシュビル市の市内のように、古い建物が残っており、いい感じの町並みです。アッシュビル市の方が「観光地」という雰囲気がして、高級そうな店が並んでいますが、グリーンビル市はもう少し地味な町だと言っても、ユニークなレストランやブティックが少なくありません。地元のレストランで食べてみたい気もあったけれど、アッシュビル市のB&Bの朝食が多かったせいか、あまり食欲がないので、全国チェーンのサンドイッチ屋に入り、控えめな昼食をいただきました。


ダウンタウンをぶらぶら歩いて、ホテルに戻りました。家内はライブへの元気を蓄えるために昼寝をしましたが、私とチビが眠くありません。リーディ川を沿岸公園を歩くことにしました。 公園はいろいろな花が咲いており、とても綺麗でしたが、川のが一番印象的でした。広くて浅い川なので、水浴びには適切です。



カメラを持っていなかったが、ネットでこの公園の写真が見つかりました。これは下の滝です。上の滝がもっと高いのですが、勇気のあるティーンエージャー達には巨大滑り台のようなものです。



危険そうですけれど、確かに楽しそうな遊びです。



小さな子供達に向いた浅瀬もありました。



チビが水着に着替えてここで川に入りました。水泳が上手ではないので、普通は一人で入らせないけれども、今日は15歳くらいに見える黒人の女の子が川に入っており、小さな子供達の「管理」をてきぱきと行っていました。

「あんた、そこは深くなるからちょっと岸の方に上がれ」

「君達を真ん中の浅いところに案内するからちょっと待てて」

「おおい!そういう乱暴な遊び方をやめろってば!」

等と、川の安全を守っていました。彼女がいれば、チビは川に入っても心配はいらないような気がしました。チビは同じ歳の女の子と友達になり、その二人が手を握って川に入る時の抜き足差し足が可愛くて微笑ましかったです。チビが水浴びに慣れてきて、なかなか帰りたがらないので、一時間以上、子供達の遊んでいる姿を見ていました。


いろんな人が川べりに来ていました。白人・黒人だけではなく、ヒスパニック系の家族や南アジア系の家族もいました。「川の管理人」をやってくれている黒人お姉さんのいうことを聞きながら、それらの子供達は皆で楽しく遊んでいました。暫く見ていると、その様子は段々と感動的に思えてきました。南北戦争の不幸な歴史を持つこの場所で、人種や国籍はどうでもいいことになっていました。なるほど、南軍旗はサウスカロライナの全てではないようです。そして、いろんな人達が自由に触れ合えるような公共施設が街づくりの大きなポイントの一つなのでしょう。グリーンビル市はこの素晴らしいリーディ川に恵まれていますが、こんな綺麗な川沿い公園が設けられていなければ、住民がこんなに集まらないのでしょう。


そんなことをぼんやりと考えていたら、遅くなっていました。ママが心配しないようにそろそろホテルに戻らなくてはなりません。その前に、川の管理人に「お世話になりました」と挨拶しました。彼女は、「は?」という顔で返事をし、自分は大したことをしていないと思っていたらしかったです。


翌日、サウスカロライナの名物の桃を一袋買ってから家に帰りました。家に着くと、虫に食われた桃が二個入っていることを発見しました。調べてみると、他の桃は大丈夫だったので、コブラーパイにしました。やはり、スーパーで買える桃よりはこくのある甘さでした。この旅でサウスカロライナ州にいい味を発見できてよかったです。


ちなみに、英語小説が好きな方へ、Sue Monk Kiddの The Secret Life of Bees はお勧めです。サウスカロライナ州の醜さと美しさを少女主人公の目から描写する小説です。

2007年6月29日金曜日

6月上旬の旅行記

かなり遅れていますが、この間の旅先を紹介させていただきたいと思います。二泊三日の短い旅だったけれど、行ったことのない町を訪れることはとても面白かったです。

今日はその旅程に従い、初日のアッシュビル市(ノースカロライナ州)について発表します。人口が7万人程度の大きくない町ですが、ノースカロライナ州の西部の山に囲まれ、自然の豊富な所です。ジョージ・ヴァンダービルトという財産家がこの辺りの綺麗な眺めに惹かれ、Biltmore Estateという巨大な邸宅を建てました。現在そのお屋敷が大きな観光スポットになっています。私も見に行ったことがありますが、その時は隣接しているアッシュビル市に行きませんでした。

ところが、今回は街をよく歩き回り、ビルトモアの方より、街の方が面白いと思いました。アメリカの中小都市は、住民はダウンタウンから郊外へ逃げ、市内ががらんとしているケースが多いです。買い物したければ、どこにでもあるような店が並ぶショッピングモールに行くしかなく、その都市の個性を感じさせるところがありません。

しかし、アッシュビル市は違って、ダウンタウンが昔のままで栄えています。ユニークな店やレストランがいっぱいあります。お昼頃に到着したので早速レストランを探し出しました。いろんな店を見物してみたけれど、Bistro 1896というところにしました。メニューは美味しそうだったし、お客さんが多かったので、きっと美味しいのだろう、と思いました。


いい天気だったので、外のテーブルにしました。気持ちよかったけれど、道路工事が行われている為、ちょっとうるさくて、ふいてくる風は少しほこりっぽかったです。

でも、食事の方はよかった。私は、クミンの海老サラダ、家内は、揚げたシーフードのシーザーサラダ、娘はお子様のチキンとフライポテトにしました。家内の注文したサラダは特に美味しかったです。

食事が済み、市内を歩きまわり、色々な店を覗きました。「今夜はどこで寝るの?」としつこく心配していた娘に促されて、3時にベッドアンドブレックファースト(B&B)に行きました。Sweet Biscuit Innという可愛い名前で、百年前に建てられた家でした。その日は私達しか泊まっていなかったので、よくリラックスできました。このB&Bをやっている夫婦はほんとに、やさしくて、明るい人だったので、「友達の家」という気持ちがすぐに湧いてきました。

休んでから、又市内に行き、まだ見ていないところを歩きながら、夕飯のレストランを探しました。家内はTiramisuという言葉にひかれて、Grove Arcadeという立派な建物にあるイタリア料理屋にしました。こういう店は大抵食べきれない量を出しているので、アントレではなく、アペタイザー とデザートを注文しました。やはり、そうしてよかったです。私のムール貝は山盛りになっていて、娘のチーズピザも小さくなかったです。家内はマンゴ・ガズパッチョ(妙に辛かった)とほうれん草サラダにしました。デザートには、私はベーリーパイ、娘はチーズケーキ、家内は目指していたティラミスにしました。




翌朝、B&Bが出す朝食を頂きました。手作りのブルーベリー・スコーンが特においしかったです。その後、B&Bの夫婦は前庭におもちゃのカメ、蛇、カエルを沢山隠し、娘に探させて楽しませてくれました。娘はこのゲームが大変気に入ったらしく、その後自分でおもちゃを隠し、大人たちを何度も探させました。

その後、サウスカロライナ州のグリーンビル市へ行きましたが、その話は次回にとっておきましょう。

2007年6月27日水曜日

自然を味わえる場所

この間の旅行は山奥の小さなリゾート地でした。姉の住んでいる町に近いこともあり、以前にも家族が集まる際に利用したリゾートです。前回はホテルの方に泊まったけれども、今回はコンドミニアムを借りました。台所もついているので、外食をしたくないは簡単な料理もできます。

この間は旅行記を書く難しさを実感しましたので、今回はちゃんと写真を撮ってきました。


こういう感じのところでした。池の周りも森の中を歩くことが出来ました。リゾート地の端の方で静かでした。


駐車場からの写真です。池に下りる階段があり、その欄干が手前に見えます。


コンドミニアムの中は広かったです。寝室が三つあり、ソファベッドも二つありました。







池の周りを歩いて、色々な動物を見かけました。70センチ位の大きな魚でした。コンドミニアムの窓からシカもウサギも見ました。

こういう環境で、家族全員でゆっくりと会話をしたり、散歩に出かけたり、昨日紹介したQuiddlerをやったりしました。歳の割りには父も母も元気そうでした。姉の家族も毎日遊びに来て、子供達は楽しそうに遊んでいました。

このリゾート地の隣に小さな町があり、その商店街を毎日ぶらぶら歩きました。町の写真も撮ってみたかったけれど、買い物に夢中になり、忘れてしまいました。家は自然の方より買い物の方が感動的だと思いたくありませんが・・・

山の中なので、私の町よりは、はるかに涼しくて湿度も低くて、とても過ごしやすい場所でした。毎年できなくても、又いつかこういう所でバラバラになっている家族の集まりを開きたいと思いました。

2007年6月20日水曜日

また旅立ちます

明日もう一度ノースカロライナ州に行って来ます。今年は、父は80歳になり、母は70歳になり、その合計150年の生命を祝うことが目的です。両親は定年を迎えてから、あまり物を欲しがらないので、プレゼントを選ぶことが難しいです。でも今回の150という数字をテーマにして、なんとか決めることができました。

来週帰ってくるまで、ブログ更新が遅れそうですが、よろしくお願いします。

2007年5月30日水曜日

もらい物


この間、遠い所へ引っ越す知人に沢山のもらい物をしてきました。ある小さめな収納棚を安く売ってくれることになっており、それを取りに行っていたのです。引越しの直前でアパートの中に段ボール箱やきれいに整理された家庭用品があっちこっちに置いてあります。そして、例の棚を車に積み込み、最後の挨拶を述べようとした時に、思いがけない攻撃を受けてしまいました。

「これもど~ぞ!」

「じゃねぇ、これも要らない?」

「これが余っているので、おまけにしてあげる・・・」

と誠にタクサンの物をくれました。種類は様々です。食料品(新品も使いかけ)、チビのフラフープ、小さなプラスチック製の収納棚、風鈴、等と山ほどもらってしまいました。

こういう時は、家内は遠慮しがちですが、私は大抵受けることにします。私達は夫婦として性格的に共通点が多い方だと思いますが、これが数少ない相違点の一つなのでしょう。

とは言えても、家内の気持ちがわからない訳でもありません。他人が引っ越す際に要らないと判断する物は、家には必要だと思えないものです。もらってしまえば、家も今度引っ越す時に、誰かに押し付けなくてはいけない羽目になってしまうのです。もし、実際に使えそうな物があれば、それだけをもらい、その他はお断りしましょう。この考え方は理屈がちゃんっと通っていることは私も承知します。

しかし、いくら引っ越しは冷静に考えるべきだとは言え、いざという時に引っ越す本人もその周りの仲間も様々な感情に引っ張られてしまうのです。引っ越す人は人生の次章を迎える喜びが主でしょうが、さようならという苦い言葉もあるし、「このアパーとに溜まってきたガラクタをどうにか処分しなくちゃ!」という慌しい現実も迫ってきます。引っ越しは肉体的にも疲れますが、精神的にもぐったりするのはこのせいなのでしょう。

今日の本人も何だかハイな感じで自分のアパートを素早く飛び回っていました。 そのハイ感と処分の必要感が一緒になっているらしく、これも、これも、是非こ~れも、と促してくるのです。大きすぎて家に置く場所がない物は仕方なく断りましたが、それ以外は受けてしまったのです。こういう時は「僕にとってこれはガラクタに過ぎない」という雰囲気を起こしてはいけないような気がします。本人は自分の物を処分しなくてはいけないのですが、「価値のない物」としてゴミ箱に放り込むことが切な過ぎる。最後まで、誰か受けてくれる使い手を捜してしまうのです。その人に自分の「価値のある物」を与える方が精神的に楽なのです。

相手のそういう精神的要求に応えたいところもありますが、私はそんなに単純に優しいことばかり考える人間ではありません。正直にいうと、私は「ただ」という言葉に非常に弱いのです。

(考えてみると、遺伝子が関わっているかもしれません。私の家族は昔スコットランドから北米に渡ってきたのですが、現在でも、スコットランドという国名を「Scotch」という形容詞に変えると、「けち」という意味にもなります。)

とにかく、引っ越す本人も興奮してしまい、私も興奮してしまい、家内が悪い物でも食べたような表情になり、車が荷物でいっぱいになりました。

家に帰ると、車から引っ張り出して置く場所を決めることは一仕事でした。そして、プラスチック製の収納棚をよく見ると、なんとホコリがいっぱいついています。ホコリの溜まり方は家庭によって違うだろうけれど、私の目には三年分ぐらいは溜まっています。石の上にも三年は大変良いことだそうですが、プラスチック棚の上にも三年分のホコリは望ましくない発見でした。

そして、この棚の周りにはプラスチック格子が付いているので、その穴を一つ一つ拭かなくてはならないのです。三十分前に目を星にして「この人が処分したがっているから、もらった方が実は優しいんだ」と考えていた自分がいやになってしまうのです。

時間をかけて棚を丁寧に拭いていると、少し気を取り直しました。この棚は机の側に置けば、今までごた混ぜになっていた鉛筆や書類を整理してくれそうなので、もらってよかったと改めて思えました。三年後にホコリが溜まっていないように、毎日使いましょう。

2007年5月25日金曜日

チビとの討論

チビの部屋がひどく散らかっています。どういう風に散らかっているかといいますと、本におもちゃ、まだきれいな洋服に汚れた洋服、鉛筆にビー玉、という感じで、そのど真ん中に逆様になっている洗濯籠がお人形のお茶会のテーブルになっています。つまり、「この部屋には床があるのか」という状態です。自分からなかなか片付けようとしないチビに、「パパが手伝うから今日こそ部屋の掃除をしよう」と誘ってみました。しかし、この作戦が全然効きませんでした。

ほら、チビがこっちを向きません。「いいよ、パパ。別に片付けなくたって平気だよ。」

「パパとママは平気じゃないよ。歩けないほど散らかっているよ。」

「それは大丈夫。私なら歩けるよ。」

「でもね、このままだと寝る時におやすみを言いに来れないよ。それでもいいのかい?」

「ふん、そうか。じゃ、通路を作ってあげる。」

「・・・・・・」

「じゃ、Lちゃんの家に遊びに行くのね。」

「ち、ちょっと待てよ。やっぱり片付けようよ。」

討論に勝てなかった私には、「やりなさい」という言葉、即ち親の究極兵器を持ち出すしかありませんでした。しかし、渋々と片付け始めるチビが努力しません。本を拾っても、ぱらぱらとページをめくるだけです。何回か注意したけれど、チビの動きが少しも早まってきません。このままだと、私が全部やってしまいそうなのです。つまり、チビの勝利。これはいけません。

「じゃ、暫く自分でやってみて。片付いたら遊びに行ってもいいよ」と私は何気なく言い捨てて、部屋を出ます。

隣の部屋でメールチェックしていると、物音は全くしません。ちょっと不気味になってくるくらいです。しかし、数分後、

「パパ、ちょっと昼寝していい?」と聞いてくるのです。赤ちゃんの頃にも昼寝を殆どしなかったチビにしては高いレベルの抵抗です。

「昼寝? ま、いいよ。疲れているならしょうがないね。」

チビがもぞもぞと毛布の下に潜り込み、部屋が又静まり返ります。

沈黙が二分、三分流れていきます。まさか、本当に寝るとは・・・。

「パパ、おなかがへんだよ~」

やっぱり。

様子を見にいくと、全然苦しくなさそうなチビが毛布に絡まっています。「おなかが痛い」はチビの最後の戦略でした。この程度の抵抗力をつい尊敬してしまいます。でも、チビの茶色い目は今私の顔を探しています。

何よりも、チビは一人でいることが嫌なのです。こんなベッタリチビには兄弟がいないことが申し訳なく感じてしまいます。

暫くおでこを撫でてもらったら、チビがほっとしたみたいです。今のうちに動き出さなくちゃ。

「どう?二人で片付けない?」

「うん、二人でやろう、パパ。」

部屋が片付いてくると、チビが突然「片付けるって楽しいね」と言い出すのです。それは彼女の今の気持ちですけれど、何度も演じてきたこの劇がこれからも何度も演じられるのでしょう。

いつか、チビが「一人でもいいから片付けない」と決める日がくるかもしれません。

又は、自分から部屋の掃除をしたくなる日がくるかもしれません。

いろいろな可能性がこもった将来が訪れるまでは、こういう部屋掃除討論を大切にしましょう。

2007年5月22日火曜日

ある時期のレモネード

外国語の学習として、音楽がよく用いられているのですが、私はそれを体験した場所は、日本語の教室でなくて、家の居間でした。

お子さんのいる方はすぐに分かると思いますが、子供がテレビに興味を示すようになってから、家中が同じ声、同じ台詞、同じ音楽でいっぱいになるのです。子供は一旦ある番組にはまると、何度も何度も観たがってしまうのです。

親にとってこれは子育ての節目の一つと言えるでしょう。今まで子供の幸せと生長を考えて作り上げた家の環境が、段々と子供の意志に影響されてくるのです。勿論、親が子供に見せる番組を選ぶことが出来ますが、子供がその中から一つにはまれば、親の辛抱の限界が試されてしまうのです。

アメリカの子供向けテレビ番組には、親を悩ますキャラクターが幾つかいます。その最凶最悪な犯人は、バーニーという紫と緑のフォームラバーでできた恐竜なのです。彼が主役を務めるBarney and Friendsの内容は見事にポジティブで教養的なので、バーニーを禁止し、もっと暴力的な番組を勧めることは考えられません。しかし「I hate Barney」をGoogleに入力すれば、アメリカの親たちの恨みの深さに圧倒されてしまうのです。この現象がいいことであれ、悪いことであれ、事実なのです。

家がこういう段階についたら、やはり私も家内も同じような辛い思いをしました。家内の第一の敵はCaillou(カイユー)というカナダ人の男の子でした。確かに「I hate Caillou」でネット探索をすれば、バーニーほどではないのですが、大した収穫が返ってきます。彼のニヤニヤ声が家の中に響くや、家内の顔がこわばってしまうのですが、幸い、家のチビのCaillouマニアは長続きしませんでした。

英語の慣用句ですけれど、「酸っぱいレモンを渡されたら、甘いレモネードを作れ」と言います。Caillouの間抜けな笑い声で苦しんでいる家内にはそんな楽観的な決まり文句を言い聞かせる訳にはいかなかったし、正直に言うと私自身もそんなに楽観的な物の見方をしていなかったけれど、チビの日本語テレビが自分の語学チャンスだとなんとなく感じたのです。

運良く友達からしまじろうのビデオを何本か頂いていたので、家の親子日本語タイムができました。そういうビデオの簡単な単語とその音楽の繰り返しを通して、日本語の基本的なリズムに少し馴染むことができたかもしれません。きっと、人間の音楽感と記憶が脳みそのどこかで結ばれているのでしょう。今でも、忘れたくても、しまじろうとビデオのお姉さんのデュエットが忘れられません。


夏だ  (夏だ!)

キラキラキラキラ  (キラキラキラキラ)

お日様と  (お日様と)

ふわふわふわふわ  (ふわふわふわふわ)

白い雲  (白い雲)

だいだいだいだい  (だいだいだいだい)

だい~す・き・な~  (大好きな!)

なつなつなつなつ  (なつなつなつなつ)

なつ~がきた~  (夏が来た!)


大抵、私がいっしょに踊ったり歌ったりしていましたが、チビはどうしても真剣な顔で画面をみつめるだけです。チビはみみりんのファンになったのですが、端役のキャラクターに同情せずにはいられない私はとりっぴいを応援するようになりました。

勿論、しまじろうを観たい日もあれば、観たくない日もありました。しかし、毎日チビと観ている内に、しまじろうと彼の仲間が私達の「日本語育て」の一部となったのです。

2007年5月17日木曜日

思いがけない言葉


十年以上前の話ですが、大学院に入学してすぐの頃でした。アメリカの中西部で大学院生並みの貧しい生活を送っていました。まだ結婚していなかったけれど、家内と付き合っており、彼女が私のぼろアパートに遊びに来ていました。

その日は何かごちそうが食べたかったので、二人で手巻き寿司を作ることにしました。その頃、大都会に行かない限り、日本食料品が殆ど手に入りませんでした。大型スーパーに行けば、ふにゃふにゃと湿ったのりとお酢位しか期待できません。でも私達はそんな状況に充分慣れていたので、何の不満もなく買い物に出かけました。

具には、玉子焼きとアボカドときゅうりしかなくて、この三つをビッグ・スリーとさえ表現していました。生で食べられる魚が無論なかったし、もしスーパーに置いてあるとしても、私達にはそんな予算はなかったのです。(それに私はその頃菜食主義を固守していました。)

しかし、その程度の手巻き寿司が普段食べていたスパゲッティやサンドイッチより随分豪華な食事でした。家内が具の用意をし、私は時々彼女の指導を受けながらご飯の味付けをしました。夏のやや 暑い日で、60年代の安物の食卓に向かった時、二人とも少し汗ばんでいました。

ゆっくりと食べました。何故かわさびもあったので、「きたっ!」と叫び、鼻を手で覆うことは時折ありました。家内は自由に色んな組み合わせをしていたけれど、私はアボカドときゅうり→きゅうりだけ→玉子焼きだけという循環を律儀に繰り返しました。とうとう、おなかがいっぱいになり、二人とも動けないまま座っていました。胃袋が裂けそうな時の独特な沈黙が暫く続きました。

その時でした。家内が何気なく「お尻に根っこが生えたぁ」と発言しました。

当時、私は「生える」という動詞も「根っこ」という名詞も知りませんでした。しかし、発音の近い単語は幾つか知っていたので、家内の言葉を聞き間違えてしまったのです。私の頭の中に、

お尻に猫が入った

お尻に猫が入った

お尻に猫が入った   

という言葉が響いたのです。すさまじいスピードで知っている単語を頭の中でチェックしてみたけれど、他の意味を見つけることが出来ませんでした。

驚きの余り何も言えませんでした。暫く混乱した挙句、「で、でも、猫なんか飼っていないよ」と呟いたのです。

私の誤解を解くのに数分かかりました。

日本語の勉強を始めてから、話し相手の言葉を聞き間違えることが無数にあったのですが、この思いがけない猫だけは一生忘れられないのでしょう。

2007年5月10日木曜日

「ちょっとお聞きしたいんですが・・・」

大学の頃、半年間日本に留学してきましたが、それ以来はアメリカ在住で、日本に行くのは、一年おきに家内の実家を訪れるというパターンになっています。ですから、日本語について何か聞きたいことができると、聞き手の候補者は家内だけです。これは、家内にとって、とんでもない災難なのです。例えば、

(家内は夕飯のおかずをジャージャー炒めている最中)

「あのね、ちょっと聞いていいかな。」

(家内は興味深そうに炒め物を見つめる)「・・・・・・」

「本を読んでいて、気づいたんだけれど、「直ちに」と「即座に」の違いがよく分からないみたい。その二つはどう整理すればいいのかな・・・」

「・・・・・・・」

或いは、

(家内はテレビを見ている。私はその傍で読書。)

「ね、この漢字はなんって読むんだっけ?」

「ん?」(まだテレビを観ている)

「この漢字、読みは?」

「あ、漢字か、それは「くじら」と読むよ。」

「なんだ、くじらかぁ。そういえば、Moby Dickの日本語版だから、文脈から分かるべきだったな、そりゃ。」

「・・・・・・」

(5分後)「ね、この漢字は何と読む?」

「ん?」(家内の視線がテレビから離れない)

「漢字だよ!か・ん・じ!」

(家内の目はちらっと私の差し出すページに移る。「あ、それは又「くじら」だよ。」

「・・・・・・」

我が家では、こういう芝居が何度も繰り返されているので、家内の「知りたがる夫恐怖症」はどんなものなのか、容易に想像がつくでしょう。そうして私も家内に影響されて、「日本人は質問されたくない」というイメージを無意識に覚えてしまったのです。

それで、久しぶりに日本に行くと、必ず「うゎ~、日本人がいっぱいいるっ!さすが日本だな!どんな質問でも、答えてもらえそう・・・もしかして、絶叫すれば、僕の声が届く範囲以内に国語の先生さえいるかもしれん」というような単純なことを考えてしまうのですが、いざという時に、やはり聞きにくくて遠慮してしまいます。

したがって、この方の経験について読ませていただき、「そっか、迷惑にならない場合もあるんだ」とありがたく思いました。もし家内が彼の傍に座っていたら、話が別だったかもしれません。(というより、キュートな彼だったなら、喜んで質問に答えていたのでしょう。)とにかく、こういう日本語救急依頼の難点は、質問されてもいい方も、質問されたくない方も同じように見えてしまうということが明らかになりました。

この問題を改善するのは簡単なことでしょう。我々外国人でもわかるような合図で、質問を受けてくれる日本人の方々を示せば良いのであろう。方法はいくらでもあるのだが、各電車に、一台の客車を「質問ゾーン」に指定するのが最適に思えます。この質問ゾーンは無論、我々外国人も認めなくてはならないのだから、質問車に乗る日本人は、「質問されるかも」と覚悟できるでけではなく、逆に色々な外国語について質問する機会を得る訳です。(これで別の問題が生じるのですが、質問車に乗っている間、外国人が自分達の母国の国歌を静かに歌え続ければ分かりやすくなると思います。)

質問車の外側に、巨大なクェスチョンマークを沢山貼り付ければ、乗客の皆様が間違わないし、何だか楽しい雰囲気が醸し出されるのでしょう。わくわくしません?今日、質問車に乗ってみよう―か―なっ!と通勤時間がオモシロクなってくるのでしょう。

この提案を国土交通省に提出したいのですが、手順がよくわかりません。それでね、読者様、ちょっとお聞きしたいのですが・・・