去年、大学の四年生レベルの日本語クラスに社会人生徒として参加しました。日本語の教室に入るのは十何年ぶりだったので、付いていけるかなと心配したけれど、普段家でしか使えない日本語を違う環境で操るのが刺激的で、クラスの内容もとてもよかったです。
教科書は主にRead Real Japaneseを使っていました。この本は森瑤子やよしもとバナナや村上春樹のエッセイの原文とその英訳をまとめているので、「本物の日本語」への飛び石としてはとても有効な教科書です。
クラスで、そのエッセイの文を一つずつ順番で朗読しました。正直にいうと、最初はその授業法にいささか納得できませんでした。クラスの皆さんが授業の前に読んできたはずですから、クラスで再び読むのは何故だろう、とその目標がぴんときませんでした。家で日本語を毎日話しているので、話すことには何の不自由もないとも思いました。
しかし、少しずつ、「家での日本語」と「エッセイの日本語」の差を実感してきました。いうまでもないですが、家で言う事がよく途切れてしまいます。例えば、
「ただいま!今日は、・・・ひぇっ!あの臭いは一体なんだろう?」
会話なら更に
「昨日見ていた番組はね、」
「昨日の?」
「うん、夕飯の後観てたやつ」
「ふん、よく覚えていないな」
「もしかして、眠っていた?」
「そうかなぁ・・・」
云々と余計途切れてしまうのです。それに、もう少しスムーズに流れても、会話の内容はエッセイに出てくるような複雑な文型とは全く違います。だから、「日本語が話せる」と自慢していた私は、実際「日本語の断片を口にしている」と言った方が正直かもしれません。
こんな私が授業の予習として、その日のエッセイを何回か朗読してみるようになりました。これは何だか恥ずかしいように感じましたが、それは多分自分の弱点がばれていたからでしょう。とにかく、皆が寝てから静かな声で朗読していたら、段々と授業でスムーズに読めるようになりました。
あのクラスが終わって、ちょうど一年間になります。全く朗読しなくなった私は再び挑戦した方がいいのではないか、と思っています。やはり、自分の作れる文を会話として口にするだけでなく、自分が将来作れたらいいなと思う文も口にしてみるのが大切です。
今夜の朗読として、もう一度その教科書を引っ張り出しましょう。
2 件のコメント:
東京英語道場のHPからやってきた、たっちんデス。英語道場では英語を反省し、家庭では、日本語を反省する者です。日本語も英語も、その断片しか話していないなーと、また、また反省。私も、よき文章を朗読することにします。とても大切な言葉の基本だと思いました。有難う。
たっちんさん、こんにちは。コメントありがとうございました!朗読についてそういう気持ちは僕だけじゃないと知るととても励まされますよ。是非、お互いに頑張りましょう。
ところで、東京英語道場のことですけど、その近所によく行きますので、今度日本に行ったら、出来ればお邪魔したいですね。来年になると思いますが、その時にはよろしくおねがいします。
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