2019年9月4日水曜日

カツオ君との再会

かつおの刺身米国滞在の一年間でいろいろな課題にぶつかりました。アメリカ人の運転マナーの酷さから人間関係のあり方の違いまで、よく考えさせられました。場合によってアメリカってオープンでいい国だなと思ったり、あるいは日本人のしとやかさはやっぱりいいよなと考え直したりしました。最初に来日を検討して迷っていたころと同様に、国に優劣をつけることは難しいのだと実感しました。

でも。和食がいいです。終止符。

アメリカの日本料理屋は行ってみたけれど、一軒のお店以外は惨敗でした。へんてこりんな巻き寿司や油まみれでフニャフニャの天ぷらがほとんどでした。

自分で調理しようと思いアジア系のスーパーにも行ってみました。アジア各国の食料品がずらっと並び、何時間も面白く過ごせる立派なスーパーはあったけれど、そこにあった日本の食料品は調味料ぐらいでした。出汁とみりんが手に入っても、美味しい魚がなければ何も始まりません。切り干し大根やひじきの煮物だけで一年間過ごせる訳ではないのです。

あるとき、高級スーパーで刺身グレードのマグロを買ってきました。魚売りのおじさんはニコニコしていて、魚の味にどれだけ気をつけているかを自慢そうに語ってくれました。僕たちは舞い上がりさっそく買ってきたのですが、一口目で家内と目が合いました。不味すぎて喉を通りません。それ以後は日本料理を諦めました。

だから先週日本に帰った時から、待望の和食が解禁となりました。伊丹空港は最近立派に改装され、美味しいレストランがたくさんできました。日本到着後の最初の食事はそこの蕎麦屋でした。天ざるにしたら蕎麦はコシが程よく、天ぷらはサクッとしていて上品な食感でした。長い旅の後だったからこそ、心が和むような味でした。

でも刺身好きの僕が最も感動したのは、月曜日に地元スーパーで買ってきたカツオでした。数分前までは海で泳いでいただろうと思うような新鮮さ。口に入れるだけで溶けるような柔らかさ。絶妙な味。カツオ君と再会できて本当に良かったです。

2019年9月3日火曜日

日本の湿気、恐るべし

一年間をアメリカで過ごした僕は、びっくりするほど日本のことを忘れました。

バスの路線も家庭ゴミを出す日も綺麗に忘れてしまいました。

また、不在の一年にいろいろな変化がありました。

大好きなカフェが閉店したことを発見し、仕方なく訪れたマックでなんと注文したものをテーブルまで運んでもらいました。マックのテーブルサービスはどうでもいいことですが、閉店となったカフェの独創的な「旅する定食」がもう食べられないのはちょっとした打撃です。北欧風のシナモンロールも良かったなぁと感傷的になるくらい素敵なお店でした。

このように思いがけぬ変化はありましたが、関西の夏が蒸し暑いことには変化はなかったようです。永遠に変わらないことだろうと思います。

クーラー王国のアメリカに慣れていた僕は伊丹空港から出るなり、凄まじい湿気に襲われました。大げさな表現かもしれませんが、湿気に攻撃性が感じられます。

帰宅してクーラーをかけても、何だか物足りません。お店に行っても同じです。

電車に弱冷房車があるように、日本は弱冷房国だと言えるかもしれません。

だからと言ってアメリカが良くて日本が良くないという訳ではありません。問題はむしろアメリカで自然の空気を吸わなくなった僕にあるのでしょう。

自分のクーラー依存症を認めます。でも秋が待ち遠しいです。

写真は2年前に六甲山で撮ったものです。夏の湿気から逃げたい人にお勧めの場所です。


2019年9月1日日曜日

再び来日

この間の投稿に、来日したという話をしました。

実は先週の木曜日に再び来日しました。

仕事の都合で去年の8月から一年間アメリカで過ごすことになりました。

その間、家族にいろんなことがあり、少しは大変でしたが、だからこそ家族の近くに居ることができて良かったです。

でも一年があっという間に経ってしまい、木曜日に日本に戻り(帰り?)ました。

最初の日、一年ぶりの日本は何だかアンリアルな感じがしました。

ゴミの分別やバスに乗ることなど、初めてやっている気がして不思議でした。

でもそのうち、脳の奥深くで小さなスイッチが日本モード切り替えったようです。

今、アメリカで過ごした時間の方が夢っぽくて少しアンリアルに感じられます。どちらの国にいても、浦島太郎になるしかないようです。

写真はアメリカで出会ったヤギです。人懐っこくて可愛いいけれど、僕のTシャツの袖を食べようとしました。