2007年11月22日木曜日

感謝祭

又投稿をせずに、時間がたってしまいましたね。今頃は仕事の一年間のピークですが、後三週間ぐらいで投稿する時間ができると思います。

でも、今日は感謝際の日なので、一言でも書き込みたい気持ちです。このブログは今年の新しい挑戦となり、皆様のご訪問をとても感謝しております。

感謝祭にアメリカ人は普段実家に帰るけれども、私の場合は、四日間で行って来るのに少々遠すぎるので、隣の州に住む友人のところを訪ねることが伝統となりました。その家族は菜食主義なので、七面鳥なしの感謝祭になりますが、それでも充分楽しいです。

子供の頃は「何ももらわないからなぁ」と思い、感謝際をクリスマス程大切にしていなかったけれど、大人になってから、「感謝」という素朴で純粋な言葉の意味を少しずつ覚えてきたような気がします。

皆様、お大事に、仕事が落ち着いたらまた投稿します。

2007年10月27日土曜日

漢検報告

先週の土曜日に漢検3級を受けてみました。こういう検定試験を日本語で受けるのは初めてで、考えてみると、英語でも1992年のGREから受けていません。

検定試験を15年間やっていないせいか、言語が違うせいか、漢検を受けた時は緊張しました。事前の練習はニンテンドーDSの漢検2でやっていたのですが、やはり、教室に入り、みんなが息を凝らしているような沈黙に浸かりながら、解答用紙を眺めることは、家のカウチに寝転んでDSをいじることとは全く違います。

当たり前のことでしたが、何故か予想しませんでした。 私は呑気でどうしようもありませんね。

第一、DSだと、綺麗な字を書かなくても、大体認識してくれます。そして、間違っていても、ボタンを押せば、誤字を消して書き直せます。それに、答えを入力したら、OKというボタンを押すと、即座に「ピンポン」若しくは「ブブー」という音がします。つまり、点の獲得が直ぐに分かるので、安心して次の問題に進むことができます。60分限定の試験は、30分位しかかかりません。

ところが、本物の漢検を受ける場合は、「字のハライやトメに気をつけて下さい」と言われるので、そ~か、この試験の採点はDSの認識ほど甘くないんだ!という恐ろしい事実を発見しました。そして、解答欄を埋める際には、「これでいいのかな・・・?」という気持ちで漢字を書くので、60分の55分をかけて、必死で書いたり、消したり、書き直したりしていました。

さて、どのような結果でしょうか、と皆様が心配して下さっているかもしれませんが、実は合格なのか不合格なのか、よく分かりません。四つぐらいは埋められなかったし、三つぐらいは後で誤答だと分かりました。しかも、択一問題のところで当ててみないと答えられないのが割合多かったです。しかし、読み書きで点を蓄えたと思うし、四字熟語のところで運が良くて十の九つを知っていました。

結局、私の字の怪しいところが許されるかどうかが決め手になるかもしれません。

ともかく、結果発表は後六週間ぐらいなので、待ってみることしか出来ません。にもかかわらず、呑気な私は準二級の勉強を始めています。

2007年10月18日木曜日

明後日は勝負

前回述べたように、最近は将来について考えるようになり、頭はそういうことでいっぱいです。ところが、日本語の勉強を完全に無視している訳でもないです。

実は、土曜日に漢字能力検定試験の3級を受けてみます。そうなのです。アメリカでも漢検を受けることができますよ。偶然、近くの日本人補習校で実施されることを知り、申し込みました。何級を受ければいいかは、随分悩みましたが、結局3級にしました。準2級にしようという気持ちもありましたが、過去問題集を覗いてみたら、やはり無理なのではないかと思ったのです。常用漢字の全てを学んだことがありますが、書く能力が読む能力に比べて劣っていますし、対義語・類義語や四字熟語の問題も難しそうでした。

正直にいいますと、3級でも合格が保障されていません。模擬試験で合格できましたが、安心できる程合格の最低点数を越えていません。

さて、合格しても落ちても明後日は勝負ですよ。試験の結果が出るのに時間がかかると思いますが、次回の投稿には私の主観的な印象を報告します。

2007年10月11日木曜日

空白を埋めて

この間、久しぶりに投稿したら、びっくりする程お励ましのコメントを沢山頂きました。このブログは皆様に忘れられていないことを知り、深く感謝しております。
さて、七月から私は何をしていたのでしょうか。新しい話題を持ち出す前、この数ヶ月間のことを簡単に整理させて頂きましょう。

先ず、とぼ達の来日する予定はまだはっきりしません。よ~く話し合ったり、調べたりした挙句、住みたい場所と目指したい仕事が少しずつ分かってきました。でも、アメリカから就職するのは容易ではありません。良さそうな仕事が見つからなければ、暫くは今のままでやり続け、履歴書を磨きながら新しい求人を待つつもりです。国際引越しの準備を考えるだけでも恐ろしくなるので、キャリアー的にも、家族的にも良さそうなチャンスでないと来日しないと思います。アメリカ合衆国の誕生に活躍したベンジャミン・フランクリンの名言ですが、「引っ越し三回は火事如き」と言います。(フランクリン自身は自分のことわざに従わなかったことはともかくとして。)

結局どうなるのかは、まだ分からないのですが、自分の将来を考え直すだけでも充分価値があると思います。「私達は何を一番大切にしている?」や「成功っていったい何なんだ!?」という基本的な質問について反省するようになり、日常の機械的な繰り返しから一歩離れたようなちょっとした開放感を味わえるものです。

2007年10月3日水曜日

ご無沙汰です

とぼとぼ日本語を長いこと無視していて、どうもすみませんでした。どなたかが新しい投稿を期待していた訳でもないのですが、せめて「暫くの間、休ませて頂きます」というような知らせを発表するべきでした。

ところが、ブログの世界になると、一時停止になっても、そういう知らせが出てこない場合が多いらしいです。何ヶ月間も更新されていないブログをよく見かけるものです。恐らく、ブログを停止しよう、と考えている著者があまりいないのでしょう。確かに私自信も、「今日投稿できないけど、明日は何とか」とずっと思っていたら、あという間に一ヶ月間がたってしまいました。そういう段階に着くと、いきなり投稿するのが恥ずかしく感じるのです。自分が怠けていたと認識したくないので、そういう心理的抵抗はそう簡単に乗り越えられなません。人間の心には、「慣性の法則」の心理的バージョンが存在しているようですね。


しかし、とぼとぼ日本語をこのままでおしまいにしたくありません。毎日投稿できなさそうですが、せめて週に一回くらいはしたいです。そういう控えめなペースで私の「慣性」をいい方向に向けたいのです。

2007年7月19日木曜日

とぼ達、日本へ?!?

日曜日、日本に住んでみようかという話が出てきました。はっきり言って、かなりびっくりしました。今の生活は裕福でなくても、せめて安定しています。住んでいる町も、マイナスがあれば、プラスもあります。何かプラスがあれば満足しがちな私は、今まで引っ越しなんか真剣に考えていませんでした。

家内も日本に帰りたいと思っていなさそうでした。新婚の頃は、とりあえずアメリカで暮らそうという話をお互いにしていたし、それ以降時々「日本に住んだらどう思う」と尋ねても、「いや、帰国したい気持ちは特にないよ」というような返答でした。

しかし、今の話によると、家内は日本社会は外国人にとって住み辛いと思っていたらしいです。夫にそういう辛さを経験させたくない家内は、自分が外国生活を我慢しよう、と決意したというのです。

何度も「日本に帰らなくてもいいよ」と無造作に答えていた家内は密かにそんな優しいことを考えていたわけです。頭が下がってしまいます。

ところが、日本の現状は違うのではないか、と私達は考えてみました。確かに、日本に滞在している外国人の人数が増えてきています。

とにかく、二十年こちらで暮らしてくれた家内を日本で暮らさせてやりたい気持ちになりました。

それから、アメリカで日本語をここまで学んできた私も、もう少し日本に住んでみたいです。チビにも日本語を覚えるチャンスかもしれません。

そういう風に日本に引っ越そうかという話が急に出てきました。

それで考えなくてはいかないことがいっぱいあります。特に、この二つの疑問。
  • 大都会と地方都市と、どちらがいいか

  • 就職するか、自分の会社を作るか

予定をしっかり立てなくてはいけないので、引っ越しは来年の夏になるでしょう。そして、いろいろ調べてみて、マイナスが多ければ、この計画を止めるかもしれません。

しかし、今のところは日本に住むことをプラスとして考えています。

2007年7月16日月曜日

日本語の視覚性(その2)

前回の投稿に続きまして、日本語の視覚性についてもう少し書かせていただきましょう。

もう一つのコメントは、急いで本を読んでいる時、さっと目を通して、重要そうな部分だけを読み取るというやり方でした。確かにそうだと思います。英語も、readingでなく、skimmingする時があります。

そして、話題は少々ずれますが、小説を読んでいると、キャラクターの名前の読み方を気にしない時もあるのではないか、と思います。読みを振り仮名で示すことも多いけれど、示さないこともしばしばあります。ある小説を読んでいたら、「和子」というキャラクターが登場しました。その漢字の振り仮名がなかったので、ネット辞典で調べてみました。なんと、

かずこ
やすこ
よりこ
わこ

云々と女性の名前が16個でてきました!ま、日本人にとってその一つが当たり前の読みだろうと思い、家内に聞いてみると、「そうだね、読み方分からないね」というのです。実は、私の前に家内がこの小説を読んだけれども、その名前の曖昧さに気づかなかったようです。キャラクターの名前を頭の中で発音できないと、私は不安で仕様がありませんでしたが、家内は「和子」という文字だけで、全く平気でした。

これは、「英語読書感覚」と「日本語読書感覚」の違いなのでしょうか。

皆様はどう思いますか。

2007年7月12日木曜日

日本語の視覚性

訪問者様に興味深いコメントをいただき、日本語の視覚性をもう少し考えてみました。

一つのコメントは、日本人はよく会話の途中で漢字を聞いたり、手のひらで書いてみせたりすることでした。考えて見ると日本のテレビ番組でも同じようなことが行われています。それは、台詞が頻繁に字幕になっていることです。アメリカのテレビだと、話し手の声が聞き取れない程はっきりしない時にしかしないことですが、日本の場合はニュースからバラエティ番組まで常にやっているように思えます。日本語に同音異義語が多いので、ニュースだと字幕が必要でしょうが、ニュース以外の番組もやっているし、そして会話の重要な言葉だけではなく、「キャ~」とか、「そうそうそう!」というような叫びまで字幕になります。しかも、小さな字ではなく、大きな、鮮やかな字が画面に踊っています。こういうのは、日本語の会話の文字化は面白いとされていることを証拠しているのではないか、と思います。

私自身もこういう字幕が番組の面白さを高めるように思えます。そして、内容の理解率も高くなることはいうまでもありません。日本語学習者にとって、日本テレビの「何でも字幕」傾向は大変ありがたい現象です。

書きたいことがもう一つありますが、それを次回にとっておきましょう。

2007年7月10日火曜日

柔らかい日本語


日本語は言語として、柔らかさに富んでいると思います。「柔らかさに富む」という言い回しがおかしいだろうけれども、日本語は文型がわりと自由に変えられるし、外来語を容易に吸収できるし、とても柔らかい言語なのでしょう。

例えば、日本語の単語を外国語と組み合わせることがあるでしょう。しかも、二つの言葉をつなぐだけではなく、言葉の破片を組み合わせて、新しい言葉を作ることができます。

この間、椎名誠の「わしらあやしい探検隊」を読んでみましたが、印象的な文がありました。筆者が非常に疲れていたシーンに、

「全身にくたびれイズムが溢れた」

と書いてあります。記憶が正確ではないので、本に出ていた文は多少違うかもしれませんが、「くたびれイズム」という言葉をはっきり覚えています。何故か、この「くたびれイズム」は直ぐに納得できましたが、考えてみると不思議な言葉です。第一、日本語に「疲れ」や「疲労」のような言葉が沢山あるので、新語を造る必要がありません。そして、文を英語で飾りたければ、英単語を一つそのまま入れればいいです。ところが、私の鈍い日本語感覚には、椎名氏のその時の究極な疲れを表すのに、「くたびれイズム」が最適だと思います。椎名氏は、「正しいあやしさ」を大切にしている人間なので、このあやしい新語が似合うのかもしれません。

他にも例がいっぱいあります。この間テレビを観ていたら、「知るを楽しむ」に金田一秀穂氏は、日本語が視覚を重視する言語だ、と語っていました。例えば、「W杯」と書く言葉は、「ワールド・カップ」と発音する、と金田一氏が例を挙げました。又、「W不倫」と書けば、「ダブル不倫」と発音するらしいです。前者にはWの発音が、後者にWの名前が使われています。つまり、このラテン文字に、まるで漢字の音訓読みのような使い方が日本人に発見されたという訳です。念のために言っておきますが、私は不倫に(そして正直にいうとサッカーにも)全く興味がないのです。でも、この例が非常に面白いと思いました。

皆様は、日本語の柔らかさに関してはどう思っていますか?何か面白い例があれば、是非コメントを入れてください。

2007年7月6日金曜日

翻訳へ挑戦しませんか?

去年、しずおか国際翻訳コンクールに応募しましたが、もう一つの翻訳コンクールを紹介させていただきます。それはMiss Potterという映画の字幕翻訳コンクールです。サイトによると、一つのシーンを選び、オンラインで映画を観ながら翻訳する、という仕組みです。応募の締め切りは9月10日です。

自然な日本語訳を書けない私は勝つ見込みがありませんが、練習のためにやってみるかもしれません。皆様は興味があれば、是非応募してください。その応募の評価は別として、映画のシーンが観れるので、面白いかもしれません。この間、DVDで観たけれども、とてもいい映画でした。ポッター女史の人生はとても穏やかだったろうと想像していましたが、劇的な出来事があったようです。

2007年7月4日水曜日

7月4日

今日はアメリカの独立の日です。


アメリカ人はよくその200年以上の自由を誇りにしますが、日本人の目から見れば、ここはまだ幼い国なのでしょう。


ともかく、家はアメリカ人並みにお祝いしています。


裏のデッキでハンバーガーをグリルしたり、スイカを食べたり、日が暮れてから花火をあげたりします。


ただ、私は牛肉が苦手なので、私だけは鮭のハンバーガーにします。


そして、花火も条件付きです。チビはウルサイのを嫌がるので、なるべく音のでない物にします。線香花火がその大半です。


こういう条件があっても、7月4日は楽しいと思います。


そう思っていないのは、家の犬だけです。Gちゃんは元気な15キロの初老雑種ですが、とても落ち着いていて、要求が少なくて、飼いやすい犬です。


しかし、何故か花火の音が怖いらしいです。近所の人々が夜遅くまで花火を上げるので、家の人間がみんな寝ても、まだうるさいのが続いています。


Gちゃんは家の中にベッドがあり、一日の殆どを室内で過ごしていますが、二階に上がることは禁止されています。寝室は全部二階です。ゲートも何もないけれど、Gちゃんはルールをよく知っているので、決して上がってきません。


しかし、一年のこの日だけは違います。みんなが寝ると、一人ポッチになっているGちゃんは堪らなくなり、「申し訳ないけど、今日だけは許してぇ~」という表情で階段を登ってくるのです。


なかなか叱ることができないので、暫く居させてから、一階に連れて行き、近所が静まり返るまで一緒にいてあげるしかありません。


私も牛肉がだめだし、犬にも7月4日の苦手なところがあってもしかたありませんね。

2007年7月2日月曜日

6月上旬の旅行記 (その2)

アメリカ合衆国の各州は独自のイメージがします。例えば、テキサス州は何でもデッカイ、カリフォルニア州は何でも超クール、フロリダ州はお年寄りのメッカ、云々と連想します。こういう割りと有名な州だけではなく、アイダホ州の芋の多さと人間の少なさや、ミネソタ州の住民の北欧っぽい訛りまで、全ての州には独特な雰囲気や有名な特徴があります。


正直に言いますと、サウスカロライナ州に連想することがあまりよくありません。アメリカの南北戦争の頃、サウスカロライナが最初に合衆国から脱退した州で、1962年から2000年まで南部独立を象徴する南軍旗がサウスカロライナの州議事堂に掲げられていました。アメリカ中で反対の声が強まり、2000年に南軍旗は州議事堂からその隣にある記念碑に移されました。それは何の記念碑でしょうか。奴隷制度を必死に守ろうとした南部連合の記念碑です。やれやれ。


サウスカロライナ州の事をよく知っているわけでもないのですが、このぐらい知っていると、行ってみたいという気持ちがなかなか湧いてこないものです。
しかし、行くことになりました。そのきっかけは家内のロックンロール欲望でした。家内はピーターフランプトンの大ファンですが、去年まで彼のライブに行ったことがありませんでした。フランプトンがサウスカロライナ州のグリーンビル市で演奏することを知り、地図を見てみると、へー、結構近いじゃん、と驚きました。更に調べてみると、会場もよさそうだし、チケットの値段は高くありません。大分右の方ですが、前の列の席が一つ空いているそうです。よし、行ってみようということになりました。


前回紹介したアッシュビル市から一時間余り南の方に車を走らせてグリーンビル市に到着しました。最初に通ったのは貧しそうな地区で、大丈夫かな、と思いましたが、市内に着くと、なんと川沿いの地区は再開発中で、予約したホテルはその新しい建物の一つです。隣のビルはまだ工事中ですが、ホテルの中はきれいで静かでした。一休みしてから、リーディ川の向こう岸にあるダウンタウンに出かけました。


アッシュビル市の市内のように、古い建物が残っており、いい感じの町並みです。アッシュビル市の方が「観光地」という雰囲気がして、高級そうな店が並んでいますが、グリーンビル市はもう少し地味な町だと言っても、ユニークなレストランやブティックが少なくありません。地元のレストランで食べてみたい気もあったけれど、アッシュビル市のB&Bの朝食が多かったせいか、あまり食欲がないので、全国チェーンのサンドイッチ屋に入り、控えめな昼食をいただきました。


ダウンタウンをぶらぶら歩いて、ホテルに戻りました。家内はライブへの元気を蓄えるために昼寝をしましたが、私とチビが眠くありません。リーディ川を沿岸公園を歩くことにしました。 公園はいろいろな花が咲いており、とても綺麗でしたが、川のが一番印象的でした。広くて浅い川なので、水浴びには適切です。



カメラを持っていなかったが、ネットでこの公園の写真が見つかりました。これは下の滝です。上の滝がもっと高いのですが、勇気のあるティーンエージャー達には巨大滑り台のようなものです。



危険そうですけれど、確かに楽しそうな遊びです。



小さな子供達に向いた浅瀬もありました。



チビが水着に着替えてここで川に入りました。水泳が上手ではないので、普通は一人で入らせないけれども、今日は15歳くらいに見える黒人の女の子が川に入っており、小さな子供達の「管理」をてきぱきと行っていました。

「あんた、そこは深くなるからちょっと岸の方に上がれ」

「君達を真ん中の浅いところに案内するからちょっと待てて」

「おおい!そういう乱暴な遊び方をやめろってば!」

等と、川の安全を守っていました。彼女がいれば、チビは川に入っても心配はいらないような気がしました。チビは同じ歳の女の子と友達になり、その二人が手を握って川に入る時の抜き足差し足が可愛くて微笑ましかったです。チビが水浴びに慣れてきて、なかなか帰りたがらないので、一時間以上、子供達の遊んでいる姿を見ていました。


いろんな人が川べりに来ていました。白人・黒人だけではなく、ヒスパニック系の家族や南アジア系の家族もいました。「川の管理人」をやってくれている黒人お姉さんのいうことを聞きながら、それらの子供達は皆で楽しく遊んでいました。暫く見ていると、その様子は段々と感動的に思えてきました。南北戦争の不幸な歴史を持つこの場所で、人種や国籍はどうでもいいことになっていました。なるほど、南軍旗はサウスカロライナの全てではないようです。そして、いろんな人達が自由に触れ合えるような公共施設が街づくりの大きなポイントの一つなのでしょう。グリーンビル市はこの素晴らしいリーディ川に恵まれていますが、こんな綺麗な川沿い公園が設けられていなければ、住民がこんなに集まらないのでしょう。


そんなことをぼんやりと考えていたら、遅くなっていました。ママが心配しないようにそろそろホテルに戻らなくてはなりません。その前に、川の管理人に「お世話になりました」と挨拶しました。彼女は、「は?」という顔で返事をし、自分は大したことをしていないと思っていたらしかったです。


翌日、サウスカロライナの名物の桃を一袋買ってから家に帰りました。家に着くと、虫に食われた桃が二個入っていることを発見しました。調べてみると、他の桃は大丈夫だったので、コブラーパイにしました。やはり、スーパーで買える桃よりはこくのある甘さでした。この旅でサウスカロライナ州にいい味を発見できてよかったです。


ちなみに、英語小説が好きな方へ、Sue Monk Kiddの The Secret Life of Bees はお勧めです。サウスカロライナ州の醜さと美しさを少女主人公の目から描写する小説です。

2007年6月29日金曜日

6月上旬の旅行記

かなり遅れていますが、この間の旅先を紹介させていただきたいと思います。二泊三日の短い旅だったけれど、行ったことのない町を訪れることはとても面白かったです。

今日はその旅程に従い、初日のアッシュビル市(ノースカロライナ州)について発表します。人口が7万人程度の大きくない町ですが、ノースカロライナ州の西部の山に囲まれ、自然の豊富な所です。ジョージ・ヴァンダービルトという財産家がこの辺りの綺麗な眺めに惹かれ、Biltmore Estateという巨大な邸宅を建てました。現在そのお屋敷が大きな観光スポットになっています。私も見に行ったことがありますが、その時は隣接しているアッシュビル市に行きませんでした。

ところが、今回は街をよく歩き回り、ビルトモアの方より、街の方が面白いと思いました。アメリカの中小都市は、住民はダウンタウンから郊外へ逃げ、市内ががらんとしているケースが多いです。買い物したければ、どこにでもあるような店が並ぶショッピングモールに行くしかなく、その都市の個性を感じさせるところがありません。

しかし、アッシュビル市は違って、ダウンタウンが昔のままで栄えています。ユニークな店やレストランがいっぱいあります。お昼頃に到着したので早速レストランを探し出しました。いろんな店を見物してみたけれど、Bistro 1896というところにしました。メニューは美味しそうだったし、お客さんが多かったので、きっと美味しいのだろう、と思いました。


いい天気だったので、外のテーブルにしました。気持ちよかったけれど、道路工事が行われている為、ちょっとうるさくて、ふいてくる風は少しほこりっぽかったです。

でも、食事の方はよかった。私は、クミンの海老サラダ、家内は、揚げたシーフードのシーザーサラダ、娘はお子様のチキンとフライポテトにしました。家内の注文したサラダは特に美味しかったです。

食事が済み、市内を歩きまわり、色々な店を覗きました。「今夜はどこで寝るの?」としつこく心配していた娘に促されて、3時にベッドアンドブレックファースト(B&B)に行きました。Sweet Biscuit Innという可愛い名前で、百年前に建てられた家でした。その日は私達しか泊まっていなかったので、よくリラックスできました。このB&Bをやっている夫婦はほんとに、やさしくて、明るい人だったので、「友達の家」という気持ちがすぐに湧いてきました。

休んでから、又市内に行き、まだ見ていないところを歩きながら、夕飯のレストランを探しました。家内はTiramisuという言葉にひかれて、Grove Arcadeという立派な建物にあるイタリア料理屋にしました。こういう店は大抵食べきれない量を出しているので、アントレではなく、アペタイザー とデザートを注文しました。やはり、そうしてよかったです。私のムール貝は山盛りになっていて、娘のチーズピザも小さくなかったです。家内はマンゴ・ガズパッチョ(妙に辛かった)とほうれん草サラダにしました。デザートには、私はベーリーパイ、娘はチーズケーキ、家内は目指していたティラミスにしました。




翌朝、B&Bが出す朝食を頂きました。手作りのブルーベリー・スコーンが特においしかったです。その後、B&Bの夫婦は前庭におもちゃのカメ、蛇、カエルを沢山隠し、娘に探させて楽しませてくれました。娘はこのゲームが大変気に入ったらしく、その後自分でおもちゃを隠し、大人たちを何度も探させました。

その後、サウスカロライナ州のグリーンビル市へ行きましたが、その話は次回にとっておきましょう。

2007年6月27日水曜日

自然を味わえる場所

この間の旅行は山奥の小さなリゾート地でした。姉の住んでいる町に近いこともあり、以前にも家族が集まる際に利用したリゾートです。前回はホテルの方に泊まったけれども、今回はコンドミニアムを借りました。台所もついているので、外食をしたくないは簡単な料理もできます。

この間は旅行記を書く難しさを実感しましたので、今回はちゃんと写真を撮ってきました。


こういう感じのところでした。池の周りも森の中を歩くことが出来ました。リゾート地の端の方で静かでした。


駐車場からの写真です。池に下りる階段があり、その欄干が手前に見えます。


コンドミニアムの中は広かったです。寝室が三つあり、ソファベッドも二つありました。







池の周りを歩いて、色々な動物を見かけました。70センチ位の大きな魚でした。コンドミニアムの窓からシカもウサギも見ました。

こういう環境で、家族全員でゆっくりと会話をしたり、散歩に出かけたり、昨日紹介したQuiddlerをやったりしました。歳の割りには父も母も元気そうでした。姉の家族も毎日遊びに来て、子供達は楽しそうに遊んでいました。

このリゾート地の隣に小さな町があり、その商店街を毎日ぶらぶら歩きました。町の写真も撮ってみたかったけれど、買い物に夢中になり、忘れてしまいました。家は自然の方より買い物の方が感動的だと思いたくありませんが・・・

山の中なので、私の町よりは、はるかに涼しくて湿度も低くて、とても過ごしやすい場所でした。毎年できなくても、又いつかこういう所でバラバラになっている家族の集まりを開きたいと思いました。

2007年6月26日火曜日

英語ゲームをしてみませんか?

ノースカロライナ州への旅はとてもよかったです。旅行記をそろそろ書きますが、今日はあっちでいとこに教えてもらった英語ゲームを紹介させていただきます。

Quiddlerというゲームですが、Scrabbleに似ているカードゲームです。カードに英語の文字と点数が書いてありますが、配られるカードから英語の単語をつづるゲームです。使ったカードの点数の合計から残っているカードの点数が引かれるので、全部使わないと点があまり入りません。そして、初回は一人三枚配れるのですが、毎回それを一枚増やしていき、終回は一人八枚配られます。毎回、一番長い言葉をつづった人も、言葉を一番多くつづった人も、ボーナス点をもらいます。ですから、長い言葉を沢山知っている人も得ですが、短い言葉を沢山作る人も得です。

Scrabbleと違って、一文字だけではなく、CLやTHやERというよくあるコンビネーションのカードもあります。Scrabbleの空のタイルのようなワイルドカードはありません。四、五人でやるととても面白いゲームです。

しかし、一人でもできますよ。Quiddlerを作っている会社のウェブサイトに今日のパズルというページがあるからです。これは表のカードとその下に隠されているカードを使いながら、言葉をつづるゲームです。長い言葉はボーナスをつけられるので、何回かやって、隠されているカードを知っておき、どの長い言葉がつづれるのかを考えるチャレンジです。その日のパズルの最高点もみられます。今日の6月26日のパズルの最高点は108点ですが、私はどうしても98点を超えることができません。明日その最高点の言葉が発表されるので、それを覗いてから、明日のパズルにも挑戦するでしょう。そういう繰り返しでこのゲームは癖になるのでしょう。

英語が苦手の方には、Setというシンボルゲームもあります。そのページの"How to Play"にクリックすれば、Setの作り方を画像を通して教えてもらえますので、殆ど英語を使わなくてもOKです。

2007年6月20日水曜日

また旅立ちます

明日もう一度ノースカロライナ州に行って来ます。今年は、父は80歳になり、母は70歳になり、その合計150年の生命を祝うことが目的です。両親は定年を迎えてから、あまり物を欲しがらないので、プレゼントを選ぶことが難しいです。でも今回の150という数字をテーマにして、なんとか決めることができました。

来週帰ってくるまで、ブログ更新が遅れそうですが、よろしくお願いします。

2007年6月18日月曜日

面白い本

今読んでいる本は泉麻人の「東京23区」物語」です。この間、よく行く図書室でたまたま手にした本ですが、最近読んでいる小説や旅行記とは違うジャンルの本だし、家内の生まれた場所をもっと知るべきだと思ったので、借りることにしました。

三分の一位しか読んでいませんが、なかなか面白い本です。泉氏は、各区の住民の性格を軽くからかいながら、その区の歴史と雰囲気を描写しています。この「からかい描写」は長期間日本に滞在したことのない私には、一番分かりやすい描写法だと思います。つまり、各区の特徴が大げさに描かれているので、ああ、この辺りはこういうイメージがするのか、とすぐに把握できるのです。勿論、そういう一般論には例外が沢山あるでしょうが、東京のそれぞれの地名から連想される性格や雰囲気を先に知りたいのです。

今まで印象的なのは、銀座の高級料理店が出す生ゴミを食べるカラスの進入でした。それから、新宿区の繁華街と住宅街の激しい対照でした。

「東京23区物語り」は88年に出版されたので、私の日本留学時代と重なっています。私は殆ど東北に滞在していたのですが、一週間だけ東京にも行ったので、この本を読んでいると、その頃を懐かしく思い出す事ができます。現在の東京は大分違うのですから、もっと新しい本も読むべきですが、この読みやすい本で始めたのがよかったかもしれません。

2007年6月13日水曜日

次の挑戦

この間紹介したニンテンドーDSの「なぞって覚える大人の漢字練習」の内容を最後までやりました。勿論、覚える側から忘れる漢字は多かった(特に難学チャレンジという常用外漢字の問題)ので、これから復習をしなくてはいけないし、熟語並べという漢字ゲーム等もできます。従って、このソフトはこれからも毎日のように使うのでしょう。
といっても、新しいチャレンジと新しい内容に挑戦したい気持ちがあるので、「日本語文章能力検定協会協力 正しい日本語DS 」という新しい学習ソフトを注文しました。アマゾンのカスタマーレビューの評価があまり高くないのですが、「簡単な問題の繰り返し」という苦情が私のような学習者には丁度いいレベルになるんではないか、と思いました。それから、韓国人の方はそういう意見を表していたので、購入してみることにしました。

このソフトが手に入ったら、詳しい感想を書かせていただきたいと思います。その時まで、漢字復習を続けましょう。

2007年6月11日月曜日

これは日本語スランプでしょうか?

先週、旅行から帰ってきて、早速このブログの投稿を書こうと思い、パソコンに向かいました。ところが、満足できる文章をどうしても書けませんでした。旅について書くのは割りと簡単な作業だと思っていたけれど、旅先を描写することは意外に難しかったです。いろいろ書いてみたけれど、ちゃんと書き直してから、ブログに載せたいと思います。

しかし、どうしてこうなっちゃったのでしょうか。一つは、旅行して、ブログを書くリズムが崩れたかもしれません。それから、ゆっくりとパソコンを相手にすることがてきませんでした。やはり、私は一時間ぐらい書き続かないと、言いたいことを表すことが難しいようです。小説を書いている知り合いによると、「何時間もかけて、クズのような文章を書けなければ、いい文章が出てこない時もある」、らしいです。プロの作家が母国語でもそう感じるのなら、日本語で書く私はなおさらです。

それから、考えてみれば、旅行記はやはり難しいかもしれません。「ここに行って、これを見て、これを食べた」と起こった事しか書かなければ、簡単でしょうが、旅先の雰囲気を言葉で伝えるのにかなり高いレベルの文章術がないと出来ないように思えます。

でも、いい文章が書けない、と嘆いても、どうにもならないので、又定期に投稿することにしたいと思います。

ちなみに、起こった事を単純に書きますと、ノースカロライナ州とサウスカロライナ州に行って、昔風の町並みと綺麗な川を見て、美味しいシーフードを食べてきました。

もっと詳しいバージョンもそろそろ書けるように頑張ります。

2007年6月3日日曜日

チビの日本語上達をサポートしたいのですが・・・

家のチビのあだ名の一つは「英語好き姫」です。家で日本語で話そうと努めてきたのですが、チビは幼児の頃から地元の保育園に通っていた為、英語の方に馴染んでしまったのです。「日本語を喋る姫」に変身する時もありますが、大抵の場合は日本語で話しかけられても、チビは英語で答えてしまうのです。それはどうしようもない事だけれど、今から日本語の面白さを感じさせようと、心掛けています。

その一つは「アンパンマンとあいうえう教室」です。このニンテンドーDSソフトで平仮名の認識と書き方を遊びながら学べます。挨拶ゲームもあり、とてもいいソフトです。対象年齢はチビより年下だと思いますが、チビはおかまいなくばいきんまんをやっつけながら楽しんでいます。完璧に出来ないと直ぐにイライラして止めてしまうチビには、このゲームの初級レベルでは不合格と評価されないのが特にいい点です。

最近、このゲームと他の勉強法でチビはやっと平仮名の読み書きが何とか出来るようになりました。しかし、もっと練習しないと、この不安定した何とかレベルを超えることを望めないと思います。勿論、日本語の本を読ませたり、日本語のテレビを見せたりしていますが、インターネットやゲームの方が夢中になり、日本語を吸収するらしいです。

それで、日本語を学べるウェブサイトやDSゲームを探しています。英語なら、http://www.pbskids.org/がとても気に入っています。ゲームの種類もレベルも沢山あり、どれも教養的です。(英語の学習者にもお勧めです。)日本語の似たサイトを探してみましたが、http://www.disney.co.jp/みたいなのは、ちょっと合わないように気がします。一つは、評価が結構厳しいので、チビなら直ぐに逃げ腰になるのではないかと思います。それから、平仮名の読み書きに関するゲームはありません。自分でも探し続けますが、何かいいサイトを知っている方がいらっしゃたら、是非コメントを入れて教えて下さい。

同じように、小学校一年生レベルの国語DSソフトを探しています。「えほんであそぼう」というシリーズは中々よさそうですが、英訳が付いている事が気になります。チビならそれだけ見ているので、日本語の勉強にならないかもしれません。いいDSソフトかPCソフトがあったら、どうぞ教えて下さい。

ブログというのは、読者に面白い内容を発表するべきですが、今日はわがままな依頼をしてしまい、どうもすみませんでした。

最後に、今週はちょっとした旅をしますので、ブログ更新が週末になると思います。宜しくお願い致します。

話題リストを載せました

少しずつ投稿の数が増えてきたので、話題のリストをページの右端に載せました。もっと明確な話題ラベルを考え、リストを整理しなくてはいけませんが、暫定的に今まで作ったので行こうと思いました。

2007年6月1日金曜日

驚きの発言

この間小さなパーティーに行ってきました。出席者ば皆英語ができるけれど、その大半は中国語か日本語のネイティブスピーカーで、その三つを流暢に喋れる人もいました。(言っておきますが、私はその有能者グループの会員ではありません。私の外国語レパートリーは日本語でおしまいなのです)。

とにかく、美味しい物を食べ、いっぱい楽しんできましたが、いろいろな言語がいろいろな組み合わせで飛び交う中、日本語の会話もできてよかったです。

私の話す日本語は大体通じますが、発音が狂ってしまい、誤解を起こす事もあります。そして、このパーティーの日もそうでした。ある人と会話をしていると、このブログで紹介したある話題を持ち出しました。

「実はね、国際翻訳コンクールに応募しましたが。」

「へぇ~、そうですか。こんにゃくコンクールってのが存在するのかぁ・・・しかも国際のが!」

発音に気をつけながら改めて言ってみたら、会話は翻訳の方に進んでいきましたが、「こんにゃくコンクール」という言葉が面白くて忘れられませんでした。

考えてみると、こんにゃくの価値が見落とされているような気がします。確かに見た目は地味でこれという味はしませんが、その分幅広く鍋物にも煮物にも炒め物にも使える、和食に不可欠で基本的な食材なのです。こんにゃくのおとなしい性格を褒めるべきなのではありませんか。

しかし、こんやくコンクールは具体的にどんな風に行えばいいのでしょうか。こんにゃくを主張する料理を評価することは勿論出来ますが、こんにゃくの精神を表すオブジェを募集するコンクールにも説得力を感じます。「こんにゃくと四季」や「こんにゃくの勇ましい心」等とテーマを決め、材料をこんにゃくと爪楊枝に限れば、応募者はとても創造的なチャレンジを与えられるのでしょう。

外国語を習っていると、間違えることが日常の一部なのです。それを充分承知しているので、私は間違える度に、特に恥ずかしい思いをしません。ところが、この日のはっきりしない発音から、こんな風に笑えるアイディアが生じたのです。

2007年5月30日水曜日

もらい物


この間、遠い所へ引っ越す知人に沢山のもらい物をしてきました。ある小さめな収納棚を安く売ってくれることになっており、それを取りに行っていたのです。引越しの直前でアパートの中に段ボール箱やきれいに整理された家庭用品があっちこっちに置いてあります。そして、例の棚を車に積み込み、最後の挨拶を述べようとした時に、思いがけない攻撃を受けてしまいました。

「これもど~ぞ!」

「じゃねぇ、これも要らない?」

「これが余っているので、おまけにしてあげる・・・」

と誠にタクサンの物をくれました。種類は様々です。食料品(新品も使いかけ)、チビのフラフープ、小さなプラスチック製の収納棚、風鈴、等と山ほどもらってしまいました。

こういう時は、家内は遠慮しがちですが、私は大抵受けることにします。私達は夫婦として性格的に共通点が多い方だと思いますが、これが数少ない相違点の一つなのでしょう。

とは言えても、家内の気持ちがわからない訳でもありません。他人が引っ越す際に要らないと判断する物は、家には必要だと思えないものです。もらってしまえば、家も今度引っ越す時に、誰かに押し付けなくてはいけない羽目になってしまうのです。もし、実際に使えそうな物があれば、それだけをもらい、その他はお断りしましょう。この考え方は理屈がちゃんっと通っていることは私も承知します。

しかし、いくら引っ越しは冷静に考えるべきだとは言え、いざという時に引っ越す本人もその周りの仲間も様々な感情に引っ張られてしまうのです。引っ越す人は人生の次章を迎える喜びが主でしょうが、さようならという苦い言葉もあるし、「このアパーとに溜まってきたガラクタをどうにか処分しなくちゃ!」という慌しい現実も迫ってきます。引っ越しは肉体的にも疲れますが、精神的にもぐったりするのはこのせいなのでしょう。

今日の本人も何だかハイな感じで自分のアパートを素早く飛び回っていました。 そのハイ感と処分の必要感が一緒になっているらしく、これも、これも、是非こ~れも、と促してくるのです。大きすぎて家に置く場所がない物は仕方なく断りましたが、それ以外は受けてしまったのです。こういう時は「僕にとってこれはガラクタに過ぎない」という雰囲気を起こしてはいけないような気がします。本人は自分の物を処分しなくてはいけないのですが、「価値のない物」としてゴミ箱に放り込むことが切な過ぎる。最後まで、誰か受けてくれる使い手を捜してしまうのです。その人に自分の「価値のある物」を与える方が精神的に楽なのです。

相手のそういう精神的要求に応えたいところもありますが、私はそんなに単純に優しいことばかり考える人間ではありません。正直にいうと、私は「ただ」という言葉に非常に弱いのです。

(考えてみると、遺伝子が関わっているかもしれません。私の家族は昔スコットランドから北米に渡ってきたのですが、現在でも、スコットランドという国名を「Scotch」という形容詞に変えると、「けち」という意味にもなります。)

とにかく、引っ越す本人も興奮してしまい、私も興奮してしまい、家内が悪い物でも食べたような表情になり、車が荷物でいっぱいになりました。

家に帰ると、車から引っ張り出して置く場所を決めることは一仕事でした。そして、プラスチック製の収納棚をよく見ると、なんとホコリがいっぱいついています。ホコリの溜まり方は家庭によって違うだろうけれど、私の目には三年分ぐらいは溜まっています。石の上にも三年は大変良いことだそうですが、プラスチック棚の上にも三年分のホコリは望ましくない発見でした。

そして、この棚の周りにはプラスチック格子が付いているので、その穴を一つ一つ拭かなくてはならないのです。三十分前に目を星にして「この人が処分したがっているから、もらった方が実は優しいんだ」と考えていた自分がいやになってしまうのです。

時間をかけて棚を丁寧に拭いていると、少し気を取り直しました。この棚は机の側に置けば、今までごた混ぜになっていた鉛筆や書類を整理してくれそうなので、もらってよかったと改めて思えました。三年後にホコリが溜まっていないように、毎日使いましょう。

2007年5月28日月曜日

日本語の一人称代名詞


前回は英語の「I」と「Me」の違いを主張していましたが、この二つは誰も使っています。日本語の一人称代名詞の場合は無論違います。日本語の勉強を大学で始めて、直ぐに「私」に出会いました。「私イコールI。ふむふむ、なるほど。よーし、次の単語は?」と簡単に受け取りました。そして、次の学期に、「僕」も教わりました。直ぐに使い始めた人もクラスにいましたが、私はもう「私」に慣れていたし、「私」は字としてバランスがとれていて、書きやすいので、わざわざ「僕」を使い出すことは面倒くさく感じました。それから、「僕」は男性専用だと言われたので、使ってしまえば、自分がマッチョマンに見えるのではないか、というためらいもありました。(私は普通の男性なのですが、マッチョマンではないことは明らかだと思います。)「僕」にはそういう雰囲気がしないことは今充分解っていますが、日本語の一年生には男専用の一人称代名詞は実に不思議な現象で、どう解釈すればいいのかまるで分かりませんでした。場合によって一人称代名詞を選ぶことは多分教わったと思いますが、私は「私」から離れませんでした。何しろ、日本語を話す所は教室しかなかったので、「場合」はいつも同じでした。

留学の頃は始めて生きた日本語に囲まれ、「オレ」、「アタシ」、「ワシ」という言葉から日本語の一人称代名詞の幅広さを少しずつ意識してきました。しかし、私を泊めてくれたホストファミリーに、「私」以外の一人称代名詞を使わせてもらえませんでした。「僕」を口にしてみると、若い人が使うと失礼だと言われました。その挙句、留学グループの他のメンバーが「僕」や「オレ」を楽しそうに使っていたところ、自分は「私」に縛り付けられた気分になりつつあったのです。今から考えてみると、あのホストファミリーは何故「僕」を好まなかったのか、よく分かりません。

アメリカに帰えり、その翌年大学で日本語を学ぶ時代が終わり、数年の日本語バキュームが過ぎました。ところが、家内と結婚し、日本語を再び知り合うチャンスが訪れました。最初の頃は「私」がまだ口に残っていましたが、「僕禁止」というムードがもう消えていたので、「私」がそろそろ「僕」に変わりました。

その頃から今までの十数年間、「僕」を使い続けてきました。たまたまフォーマルな場面に出会うと、「私」に戻りますが、それ以外は専ら「僕」です。「オレ」は殆ど使っていません。プンプン起こっていると、うっかり口にすることもありますが、それは一年に一回程度でしょうか。基本的に私には似合わない言葉だと思います。同じように、「お前」をめったに使いません。(たまに使ってもその対象は家の犬に決まっています。)

そんなに「僕」に馴染んできたので、このブログを始めて、「私」がつい出てきた時は少し驚きました。何が普通に使われているのか知りたくて、早速日本人のブログを幾つか見学しました。しかし、「呟き系」もあれば、「エッセイ系」もあり、あらゆる一人称代名詞が使われています。それで、自分の立場を考えることにしました。これは私の初めてのブログ経験で皆様の前で「呟く」ことはどうも出来なさそうでした。それに、普段使っている日本語よりはもう少し綺麗で礼儀正しい日本語にしようと思ったのです。結局、私は「私」でいいように思えました。

でも、頂いたコメントのレスを書くと、また「僕」になってしまいます。何故か、一人の相手に対して書くと、自分の会話的な声が出てくるのです。

このように、自分が自然に口にする一人称代名詞を使うようになりましたが、それは日本人の耳にも自然に聞こえるかどうかは解りません。しかも、日本人はどのくらい意識して人称代名詞を選んでいるかも解りません。

やはり、日本語の一人称代名詞にどんなに使い慣れても、我輩は外国人である。

2007年5月27日日曜日

人称代名詞とMe

知人に日本語のことを話していると、日本語に一人称代名詞が複数だと知らせれば、大抵驚いてもらえます。「なんで一つで済まないんだろう?いやぁ、日本語って難しそうな言語だな」という風に不思議がる人が多いです。確かに英語の感覚には日本語のこの特徴が案外だと言えるでしょう。英語だと、文法的な役割によって「I」か「Me」を使いますが、この二つは基本的に同じ言葉なのです。

といっても、感情的には僅かな違いがあるのでしょう。「Me」を間違えて主語として使えば、ちょっとした耳障りになります。例えば、

“Me and Billy is goin’ to the moving picture show, paw.”
(親父よ、Billyと映画館に行ってくるぜ)

というと、話し手が何十年前の田舎人に聞こえてしまいます。そのため、「Me」を下品な代名詞として避ける人もいるのです。ところが、「I」を「Me」の代わりに入れてしまうと、その逆効果が起こってしまいます。

“Whomever lost that file, it certainly was not I.”
(どな~たがそのファイルを無くしたにしろ、ワ・タ・ク・シでないことは確かですとも。)

この英文の話し手は、教育されていないのに、教育された印象を作ろうとしています。しかし、ちょっと努力しすぎなのです。丁寧に話したいから、文法を犠牲者にしてもいい、という態度です。丁寧に話すことは立派なのですが、文法をそう簡単に犠牲する人間が次の瞬間に仲間を犠牲者にするのではないか、という疑いを招くのです。丁寧すぎて、冷たい言葉遣いなのです。

従って、英語の一人称代名詞が基本的に同じなのに、アメリカには「I」と「Me」の感情的な影響を受け、その文法的な使い方を見落とす人が少なくありません。

この結論にたどり着くと、この投稿に日本語の人称代名詞について書こうとしていたことに気づきます。(話題をそう簡単に犠牲する人間が・・・)

とにかく、日本語の話は今度にとっておきますが、最後に間違えた例文を直しましょう。

“Me and Billy is goin’ to the moving picture show, paw.” (元の文)
“Billy and I are going to the moving picture show, paw.”(正確な文法)
“Billy and I are going to the movies, Dad.”(昔の田舎なまり削除)

“Whomever lost that file, it certainly was not I.” (元の文)
“Whoever lost that file, it certainly was not me.” (正確な文法)
“I’m not sure who lost that file, but I don’t think it was me” (刺々しくないバージョン)

2007年5月25日金曜日

チビとの討論

チビの部屋がひどく散らかっています。どういう風に散らかっているかといいますと、本におもちゃ、まだきれいな洋服に汚れた洋服、鉛筆にビー玉、という感じで、そのど真ん中に逆様になっている洗濯籠がお人形のお茶会のテーブルになっています。つまり、「この部屋には床があるのか」という状態です。自分からなかなか片付けようとしないチビに、「パパが手伝うから今日こそ部屋の掃除をしよう」と誘ってみました。しかし、この作戦が全然効きませんでした。

ほら、チビがこっちを向きません。「いいよ、パパ。別に片付けなくたって平気だよ。」

「パパとママは平気じゃないよ。歩けないほど散らかっているよ。」

「それは大丈夫。私なら歩けるよ。」

「でもね、このままだと寝る時におやすみを言いに来れないよ。それでもいいのかい?」

「ふん、そうか。じゃ、通路を作ってあげる。」

「・・・・・・」

「じゃ、Lちゃんの家に遊びに行くのね。」

「ち、ちょっと待てよ。やっぱり片付けようよ。」

討論に勝てなかった私には、「やりなさい」という言葉、即ち親の究極兵器を持ち出すしかありませんでした。しかし、渋々と片付け始めるチビが努力しません。本を拾っても、ぱらぱらとページをめくるだけです。何回か注意したけれど、チビの動きが少しも早まってきません。このままだと、私が全部やってしまいそうなのです。つまり、チビの勝利。これはいけません。

「じゃ、暫く自分でやってみて。片付いたら遊びに行ってもいいよ」と私は何気なく言い捨てて、部屋を出ます。

隣の部屋でメールチェックしていると、物音は全くしません。ちょっと不気味になってくるくらいです。しかし、数分後、

「パパ、ちょっと昼寝していい?」と聞いてくるのです。赤ちゃんの頃にも昼寝を殆どしなかったチビにしては高いレベルの抵抗です。

「昼寝? ま、いいよ。疲れているならしょうがないね。」

チビがもぞもぞと毛布の下に潜り込み、部屋が又静まり返ります。

沈黙が二分、三分流れていきます。まさか、本当に寝るとは・・・。

「パパ、おなかがへんだよ~」

やっぱり。

様子を見にいくと、全然苦しくなさそうなチビが毛布に絡まっています。「おなかが痛い」はチビの最後の戦略でした。この程度の抵抗力をつい尊敬してしまいます。でも、チビの茶色い目は今私の顔を探しています。

何よりも、チビは一人でいることが嫌なのです。こんなベッタリチビには兄弟がいないことが申し訳なく感じてしまいます。

暫くおでこを撫でてもらったら、チビがほっとしたみたいです。今のうちに動き出さなくちゃ。

「どう?二人で片付けない?」

「うん、二人でやろう、パパ。」

部屋が片付いてくると、チビが突然「片付けるって楽しいね」と言い出すのです。それは彼女の今の気持ちですけれど、何度も演じてきたこの劇がこれからも何度も演じられるのでしょう。

いつか、チビが「一人でもいいから片付けない」と決める日がくるかもしれません。

又は、自分から部屋の掃除をしたくなる日がくるかもしれません。

いろいろな可能性がこもった将来が訪れるまでは、こういう部屋掃除討論を大切にしましょう。

2007年5月24日木曜日

生きた日本語への橋

最初の投稿にも述べましたが、日本語を直して頂けると実に嬉しくなります。怪しいと思っていた表現がやはりそうだった時もあれば、全然疑っていなかった言葉が間違っている時もありますから、言語能力をつけるのにネイティブの方々に助けて頂くことが非常に大切なのです。従って、注意される事は私にとって決して不愉快な事ではありません。却って、どんなに小さな事でもとても感謝します。

それだけではありません。ある意味で、直されることは自分の存在を認めて頂くことなのです。これが学習に関係ないと思われるでしょうが、アメリカで日本語を使っていると、いくら本を読んだり、衛星放送でNHKを観たりしても、家でしか使えない日本語が家のプライベートな言語に感じてしまうのです。それは確かに便利で楽しい面もあるけれど、学習者としてある孤独感を覚える時もあります。これは実存主義者が自由詩に延々語るアンニュイというような大げさなことではなく、「どうせ勉強してきたんだから、日本語を使うチャンスがもっとあったら」というごく普通の気持ちです。そういう意味でこのブログを通して、投稿を読んで頂くと、その言語的な孤独感が飛んでいきます。皆様とコミュニケーションができることは私にとってとても嬉しいことです。ありがとうございます。

こういうことを考えていたら、感謝の言葉を書きたくなったのです。これからもどうぞ宜しくお願いします。

2007年5月23日水曜日

久しぶりの漢字練習

昨日は幾つかの小さな用事を済ませに出かけ、そのついでに喫茶店に行って昼食をとりながら勉強してきました。持って行った本は、漢字と語彙のクイズを25ずつまとめている日本語能力試験の練習問題集です。最近はブログの投稿を書いたり、小説を読んだりしているので、この本を手にするのは本当に久しぶりでした。実は、どこまで進んだのかさえ覚えていなかったので、漢字の最後のクイズを受けることにしました。

この本は自分の学習のために買ったのに、本の中にクイズの回答を書くことはとても出来ないのです。これは何故かというと、話が自分の小学生時代になってしまうのです。アメリカの小学校は同じ教科書を何年間も使い続けているので、自分の幼い頃はよく「大切な教科書を汚すな!」と言われてきたのです。学年の最初の日に教科書を配られ、表紙の内側に名前を記入していました。新しい教科書でなければ、その前の持ち主の名前も書いてあるので、よく知っている人や頭のよさそうな人が使っていたことが分かると、この本にはいい縁があって嬉しい!という気持ちでした。しかし、学年の終わりに、先生に教科書を返すときは、先生は本に何のダメージもないことを確認してから受け取るのです。少し古びていてもいいけれど、ひどく汚れたり、ページが破れたりする場合は大きな騒ぎになってしまうのです。私の本をチェックしている先生の顔をみていると、どうしてもドキドキしてしまっていたのです。そんな少年時代を送った私は現在、練習問題に答えるときは、回答を別紙に書くことにしています。そう考えると、悲しいような、懐かしいような複雑な気持ちになります。子供は、大人の気づかないところにも大きな影響を受けている、ということですね。

話を戻しますが、久しぶりの漢字練習がうまくいったかと思ったのですが、解答用紙を見たら、やはりミスがいくつもありました。

しかし、食事の方はよかったです。店の新メニューのサーモンサラダにしてみました。サーモンも美味しく、サラダのレタスとインゲンも新鮮でした。ただ一つ残念なのは、そのドレッシングは少々甘すぎました。アメリカだと、何でも甘くなってしまうのはどうしてでしょう。今度から、ドレッシングを横に添えるように頼みましょう。

今日の投稿はいろいろな話を混ぜて書いたのですが、ま、そんな一日でした。喫茶店にカメラを持っていかなかったのですが、家に帰ってから写真をとりました。

2007年5月22日火曜日

ある時期のレモネード

外国語の学習として、音楽がよく用いられているのですが、私はそれを体験した場所は、日本語の教室でなくて、家の居間でした。

お子さんのいる方はすぐに分かると思いますが、子供がテレビに興味を示すようになってから、家中が同じ声、同じ台詞、同じ音楽でいっぱいになるのです。子供は一旦ある番組にはまると、何度も何度も観たがってしまうのです。

親にとってこれは子育ての節目の一つと言えるでしょう。今まで子供の幸せと生長を考えて作り上げた家の環境が、段々と子供の意志に影響されてくるのです。勿論、親が子供に見せる番組を選ぶことが出来ますが、子供がその中から一つにはまれば、親の辛抱の限界が試されてしまうのです。

アメリカの子供向けテレビ番組には、親を悩ますキャラクターが幾つかいます。その最凶最悪な犯人は、バーニーという紫と緑のフォームラバーでできた恐竜なのです。彼が主役を務めるBarney and Friendsの内容は見事にポジティブで教養的なので、バーニーを禁止し、もっと暴力的な番組を勧めることは考えられません。しかし「I hate Barney」をGoogleに入力すれば、アメリカの親たちの恨みの深さに圧倒されてしまうのです。この現象がいいことであれ、悪いことであれ、事実なのです。

家がこういう段階についたら、やはり私も家内も同じような辛い思いをしました。家内の第一の敵はCaillou(カイユー)というカナダ人の男の子でした。確かに「I hate Caillou」でネット探索をすれば、バーニーほどではないのですが、大した収穫が返ってきます。彼のニヤニヤ声が家の中に響くや、家内の顔がこわばってしまうのですが、幸い、家のチビのCaillouマニアは長続きしませんでした。

英語の慣用句ですけれど、「酸っぱいレモンを渡されたら、甘いレモネードを作れ」と言います。Caillouの間抜けな笑い声で苦しんでいる家内にはそんな楽観的な決まり文句を言い聞かせる訳にはいかなかったし、正直に言うと私自身もそんなに楽観的な物の見方をしていなかったけれど、チビの日本語テレビが自分の語学チャンスだとなんとなく感じたのです。

運良く友達からしまじろうのビデオを何本か頂いていたので、家の親子日本語タイムができました。そういうビデオの簡単な単語とその音楽の繰り返しを通して、日本語の基本的なリズムに少し馴染むことができたかもしれません。きっと、人間の音楽感と記憶が脳みそのどこかで結ばれているのでしょう。今でも、忘れたくても、しまじろうとビデオのお姉さんのデュエットが忘れられません。


夏だ  (夏だ!)

キラキラキラキラ  (キラキラキラキラ)

お日様と  (お日様と)

ふわふわふわふわ  (ふわふわふわふわ)

白い雲  (白い雲)

だいだいだいだい  (だいだいだいだい)

だい~す・き・な~  (大好きな!)

なつなつなつなつ  (なつなつなつなつ)

なつ~がきた~  (夏が来た!)


大抵、私がいっしょに踊ったり歌ったりしていましたが、チビはどうしても真剣な顔で画面をみつめるだけです。チビはみみりんのファンになったのですが、端役のキャラクターに同情せずにはいられない私はとりっぴいを応援するようになりました。

勿論、しまじろうを観たい日もあれば、観たくない日もありました。しかし、毎日チビと観ている内に、しまじろうと彼の仲間が私達の「日本語育て」の一部となったのです。