2007年5月20日日曜日

朗読のメリット

去年、大学の四年生レベルの日本語クラスに社会人生徒として参加しました。日本語の教室に入るのは十何年ぶりだったので、付いていけるかなと心配したけれど、普段家でしか使えない日本語を違う環境で操るのが刺激的で、クラスの内容もとてもよかったです。

教科書は主にRead Real Japaneseを使っていました。この本は森瑤子やよしもとバナナや村上春樹のエッセイの原文とその英訳をまとめているので、「本物の日本語」への飛び石としてはとても有効な教科書です。

クラスで、そのエッセイの文を一つずつ順番で朗読しました。正直にいうと、最初はその授業法にいささか納得できませんでした。クラスの皆さんが授業の前に読んできたはずですから、クラスで再び読むのは何故だろう、とその目標がぴんときませんでした。家で日本語を毎日話しているので、話すことには何の不自由もないとも思いました。

しかし、少しずつ、「家での日本語」と「エッセイの日本語」の差を実感してきました。いうまでもないですが、家で言う事がよく途切れてしまいます。例えば、

「ただいま!今日は、・・・ひぇっ!あの臭いは一体なんだろう?」

会話なら更に

「昨日見ていた番組はね、」

「昨日の?」

「うん、夕飯の後観てたやつ」

「ふん、よく覚えていないな」

「もしかして、眠っていた?」

「そうかなぁ・・・」

云々と余計途切れてしまうのです。それに、もう少しスムーズに流れても、会話の内容はエッセイに出てくるような複雑な文型とは全く違います。だから、「日本語が話せる」と自慢していた私は、実際「日本語の断片を口にしている」と言った方が正直かもしれません。

こんな私が授業の予習として、その日のエッセイを何回か朗読してみるようになりました。これは何だか恥ずかしいように感じましたが、それは多分自分の弱点がばれていたからでしょう。とにかく、皆が寝てから静かな声で朗読していたら、段々と授業でスムーズに読めるようになりました。

あのクラスが終わって、ちょうど一年間になります。全く朗読しなくなった私は再び挑戦した方がいいのではないか、と思っています。やはり、自分の作れる文を会話として口にするだけでなく、自分が将来作れたらいいなと思う文も口にしてみるのが大切です。

今夜の朗読として、もう一度その教科書を引っ張り出しましょう。

2007年5月17日木曜日

思いがけない言葉


十年以上前の話ですが、大学院に入学してすぐの頃でした。アメリカの中西部で大学院生並みの貧しい生活を送っていました。まだ結婚していなかったけれど、家内と付き合っており、彼女が私のぼろアパートに遊びに来ていました。

その日は何かごちそうが食べたかったので、二人で手巻き寿司を作ることにしました。その頃、大都会に行かない限り、日本食料品が殆ど手に入りませんでした。大型スーパーに行けば、ふにゃふにゃと湿ったのりとお酢位しか期待できません。でも私達はそんな状況に充分慣れていたので、何の不満もなく買い物に出かけました。

具には、玉子焼きとアボカドときゅうりしかなくて、この三つをビッグ・スリーとさえ表現していました。生で食べられる魚が無論なかったし、もしスーパーに置いてあるとしても、私達にはそんな予算はなかったのです。(それに私はその頃菜食主義を固守していました。)

しかし、その程度の手巻き寿司が普段食べていたスパゲッティやサンドイッチより随分豪華な食事でした。家内が具の用意をし、私は時々彼女の指導を受けながらご飯の味付けをしました。夏のやや 暑い日で、60年代の安物の食卓に向かった時、二人とも少し汗ばんでいました。

ゆっくりと食べました。何故かわさびもあったので、「きたっ!」と叫び、鼻を手で覆うことは時折ありました。家内は自由に色んな組み合わせをしていたけれど、私はアボカドときゅうり→きゅうりだけ→玉子焼きだけという循環を律儀に繰り返しました。とうとう、おなかがいっぱいになり、二人とも動けないまま座っていました。胃袋が裂けそうな時の独特な沈黙が暫く続きました。

その時でした。家内が何気なく「お尻に根っこが生えたぁ」と発言しました。

当時、私は「生える」という動詞も「根っこ」という名詞も知りませんでした。しかし、発音の近い単語は幾つか知っていたので、家内の言葉を聞き間違えてしまったのです。私の頭の中に、

お尻に猫が入った

お尻に猫が入った

お尻に猫が入った   

という言葉が響いたのです。すさまじいスピードで知っている単語を頭の中でチェックしてみたけれど、他の意味を見つけることが出来ませんでした。

驚きの余り何も言えませんでした。暫く混乱した挙句、「で、でも、猫なんか飼っていないよ」と呟いたのです。

私の誤解を解くのに数分かかりました。

日本語の勉強を始めてから、話し相手の言葉を聞き間違えることが無数にあったのですが、この思いがけない猫だけは一生忘れられないのでしょう。

ちょっと反省

このブログを十日間続けてきました。大した記念日ではないけれど、今日の投稿で今までの感想を書かせて頂きましょう。一番びっくりしたのは、熱しやすく、冷めやすい私なのに、毎日投稿を書くのが楽しいのです。

文章力が上達するかどうかは分かりませんが、ブログで自分の考えを整理することは価値があると思います。私の好きなE.M. Forsterが言ったように、「声に出して言うまでは、自分の考えは知りようがない」ということでしょうか。

さて、今まで発見した事をまとめましょう。

  • 私には「日本語での声」があるかもしれません。まだスムーズには流れていかないけれど、私の書く文章には自分の声がわずかに聞こえてきました。

  • 訪問者様の人数はまだ少ないようですが、その分一人一人を大切に思っています。

  • ブログの知識には乏しいです。このページを読みたい人々にはこのページを見つかりやすくしたいけれど、その方法はさっぱりわかりません。詳しい方がいらっしゃれば、是非アドバイスを下さい。

  • なぜか、私はくだらない冗談が好きです。気さくな読者様が「母国語の英語ならもっと品のいいユーモアができるんだろう」と弁護して下さるかもしれませんが、実は私はこんなものなのです。どうかお許し下さい。

最後に、このブログを面白くしたいので、訪問者様には「これが特に面白かった」や「この辺をもう少し知りたい」というような意見がありましたら、是非聞かせてください。宜しくお願いします。

2007年5月16日水曜日

経験的学習

語学もフルーツパイも人間の存在意義を高めるような貴重な文明現象である。強いて言えば、その二つの一つがなかったとしたら、世の中がはるかに暗くなってしまうのであろう。この事実は多くの人間に認められているのだが、語学とフルーツパイには何か関係があるのか、という点はまだ疑問のままである。

ところが、その可能性は充分考えられる。フルーツパイを焼く際、語彙を少し入れておけば、フルーツの酸に普遍文法が溶けられ、言葉が、このパソコンの回路を巡っている電子の如く、自由に言語から言語へと移るだろうという推測がつくのである。

スーパーのフルーツ売り場でそんなことをぼんやりと考えていたら、実験を行うことにしました。イチゴとルバーブとパイ生地をさっさと買い、家に帰りました。 パイの用意ができたら、語彙を上のパイ皮の穴から入れ、オーブンに放り込んだのです。

夕飯の後、一切れ食べてみたけれど、まだこれという効果は感じていませんが、諦めるには早いと思います。例え、単語がたったイチゴ増えるだけでも、満足できます。

ところで、この語彙吸収法は、紅茶を一緒に飲んだ方がより効果的に思えるのですが、コーヒー派の方には選択の自由があります。

2007年5月15日火曜日

読書=LIFE

数年前から日本語の本を読んでいます。読み始めたきっかけも面白い話なのですが、今のところでは省かせて頂きましょう。とにかく、最初は家内の本棚に転がっていた本を手にして、分かりやすそうなのを読んでいました。一冊の本を最後まで読むことはめったになかったのですが、一目で分かる漢字や表現が段々増えてきたら、本を読みきることも多くなり、本を選ぶ際に読みやすさよりは内容の方を重視し始めました。それで、時々本をネットオークションで買ったり、友達に日本から送ってもらったりしていました。

そして、信じられないような幸運に、結構近いところに日本語の本を貸し出す図書室があります。殆どは文庫本で、時々読んでみたい作家の本が揃えていませんが、この図書室に通うようになってから、私の読書視野が随分広くなってきました。日本の文学界を知るのは、私にとって一生の仕事だと思うし、今この文章を書いている間、何百人かの日本人が小説の原稿をこつこつ書いていることを考えると、どのペースで読んでも、進歩するより、ますます遅れてしまいそうな気もします。

でも、どんなに読み遅れても、私のできることはページを一枚ずつ読むことしかありませんね。大雑把にいえば、本を読むときは二つの読書モードがあるのです。一つは、分からない漢字、単語、表現を全て調べながら読む、というかなり几帳面な読書法です。これは確かに効きますが、同じページに三十分をかけることもあるので、世界中の日本語小説原稿積もり具合をなるべく考えないことが大切なのです。

しかし、本と辞書を交代に見ることに飽きると、二つ目の読書モードに移ればいいのです。つまり、本だけに集中し、分からない言葉が出てきても読み飛ばしてしまうのです。これは、もっと楽な読書法ですね。まるで渋滞から抜け、高速道路で車をビューンと飛ばすような開放感なのです。(話題も飛んでしまうけれど、車社会のアメリカでは、スピード違反を常にしている人が多く、罰も割合軽いのです。)とにかく、そういう「ビューン読書」だと、全部分からなくても、本を楽しむことが案外できるし、読むスピードが上がるに連れ、総合的な理解もよくなると思います。しかし、分からない言葉が多すぎると、全然理解できなくなることもあるので、辞書を物置にしまわないほうがよさそうです。

この二つの読書モードを利用しながら、色々な作家が創造した世界を楽しむことができるので、日本の小説は私にとって、宝物とでも言えるのでしょう。これから、このブログに読書感想を時々載せたいのですが、皆様のお勧めの作家や作品も是非知りたいので、気軽にコメントを入れてくださいね。

2007年5月14日月曜日

面白そうなDSソフト

この間、ニンテンドーDSの「なぞって覚える、大人の漢字練習」について書きましたが、他にもDSで漢字の復習や漢字検定試験の練習問題ができるソフトがいくつかあるらしいです。それから、日本語の雑学ソフトもあり、面白そうなので、基礎がもう少し丈夫になれれば、私も挑戦してみたいです。

しかし、私のレベルにでも良さそうなソフトはそろそろ発売されるので、購入者の評価が高ければ、まずそれにしようかな、と思っています。

一つは、「旺文社のでる順 国語DS」です。これは中学生向けだと思いますが、漢字の問題以外にも、言葉の意味とその用法もクイズされるらしいです。熟語が沢山覚えられそうで、これの発売を楽しみにしています。もしこのトレーニングが完成できれば、山の頂まで登り、「オレは中学生レベルについたぞ~!」と絶叫したくなるのでしょう。

もう一つは、「美しい日本語の書き方・話し方DS」です。このソフトで字を書く練習もできるけれど、色々な場面でふさわしい言葉を選ぶ練習もできます。これは私に必要な練習です。日本語の文法は英語のよりルールが明確で例外が少ないですが、実際の使い方が難しいのです。殆ど家でしか日本語を使わないので、たまたま外で日本人に出合う度に、「この場合は、どういう挨拶がいいんだろう?この人に対して敬語を使うべきなのかな。敬語といってもどの程度がいいのかな・・・」等とためらっている内、何かはっきりしない言葉が口からこぼれてしまいます。だから、このソフトで練習して、もう少し交際上手になれたら、と思うのです。

但し、箱を見るとすぐ分かるけれど、このソフトは女性向きなのです。私は丁寧な言葉を好むのですが、女性っぽい日本語を話したくありません。(幸い、家内の日本語には女性的特徴が割りと少ないので、私も今まで普通の日本語を喋ってきたはずです。)結局、この「美しい日本語」は男でも使えるような内容だったら、本当に役立ちそうですから、購入者のレビューをよく読んでから判断しましょう。

2007年5月12日土曜日

Google依存症

私は自信たっぷりというような人間ではありません。何をやっても、やる前にはちゃんとしたやりかたが知りたいです。これだけだったら、どちらかというと人並みの性格に思えるけれど、日本語のことになると、私の確認マニアが異様に膨張してしまうのです。

つまり、文章を書くときはグーグル依存症に陥ってしまいます。「これはほんとに性格な日本語なのかなぁ」と疑い始めれば、もうおしまいです。グーグルに飛びついて、探索を始めるしかありません。

例えば、擬態語や擬声語にはかなり音痴なので、いつも使い方がごちゃごちゃになってしまうのです。(それとも、めちゃくちゃだったっけ?)考えれば、考えるほど分からなくなるので、日本人の皆さんはどんな使い方をしているのか、早速確認したくなります。

そして、“使い方がごちゃごちゃ”で探索すると、ヒットが七つしかありません。これでは、ちょっと少ないですね。ネット上の狂った英語の総量を考えると、日本人はともかく、私のような日本語素人がどの不自然な表現でもその位をネット上で使っているはずです。

それで、“使い方がむちゃくちゃ”で探索すれば、ヒット数は3480です。これでは、安心して使えます。これが終わりだったらまだいいけれど、つい、漢字の無茶苦茶はどうかな、と思ってしまいます。それで探索すると、ヒット数が3340で、そうか、半々か、どっちにしようかな・・・待て、漢字がある場合は擬態語じゃない・・かな?・・・云々と切りがないのです。(ちなみに、「切がない」だと21,000ヒットだけれど、「切りがない」なら173,000。)

結局、グーグルは、言語が実際的にどう使われていることを明確にしてくれて、ありがたい情報源ですが、この依存症は健全な傾向ではないような気もします。少し間違っていてもいいんじゃない、という気持ちにもなるし、私の目指す、ちゃんとした、正確な日本語が出来ても、それは少々平凡な日本語になるんじゃないかな、というオーバーなことまで考えてしまいます。ジョゼフ・コンラッドというポーランド生まれの作家が英語を二つ目の外国語として覚えてから筆を執りましたが、おかげでコンラッドの英語に新鮮な感じがします。英語ネイティブの人が考え付かないような表現が彼の作品に魅力を加えるのです。

「魅力を加える」のグーグルチェックをしましたが、ヒット数が48,500でした。正確な日本語でしたね。これは幸いな結果ですが、我々日本語素人の悩みは、魅力そのものはそう簡単に計れないことです。